20210822

 

先月、かれこれ7年と長い付き合いになる写真屋の友人と会い、写真談義をする時間があった。写真以外にも色々と近況報告をする関係なのだが、実はここまでパーソナルな話をできる関係の人間は多くない。(一方的な思いなのかもしれないが)

気が付けば、初めて出会ってから7年も経っている。正確に遡ると高校で軽音楽部で他校と対バンした頃という事になるのでもっと前になるが、ちゃんと会話をし始めたのは7年前だ。同じ予備校の受験生として再会し、1年だけだがバイトも同じ所だった。そこから数えると7年の付き合いになる。

実はカメラを買った理由は彼の写真に対する愛好精神から写真の魅力を語られた事がきっかけだった。以降私は写真に魅了され、多少だが制作活動を始めたり、仕事をする事になったり、と彼の写真好きが無ければこうはならなかったのではないかと振り返ることがある。

そんな彼とは学生を終えた今でも定期的に会うことがある。「また夏に」「また冬に」と体感的には半年くらいの間隔だ。会えば話が尽きない。近況報告だと言いながらそのほとんどが写真の話だ。

そんなことをしていたら先日その友人の店で新しくカメラを買った。前々から欲しかったRICOH  GRと呼ばれるコンデジだ。2013年に発売されたGR。今では画質も機能も差がなくなりつつあるが、それでもGRを買った。近頃はスマホでメモを取るように写真を撮っていたが、それはあくまでも日常を可視化する為のものであって、特別思い入れがあるものではない。

何よりGRというコンデジは非常に出来の良いカメラだ。単焦点F2.8を備え、機能性と軽量さを兼ね備えたコンデジというだけで私を魅了した。重量にして245gというスマホと大して変わらない。この重量からマニュアル操作を為せるカメラを持つことは、私の撮影範囲を大幅に広げる事になる。これまで私が目的(意思)を持って「写真を撮る」時というのはミラーレス一眼をバッグから取り出して撮ることがほとんどであった。写真を撮るという事はやはり即効性が必要になる場面も多く、狙ったタイミングに収める事ができるかどうかといった点も重要になってくる。それにレンズを含めて重さ1kg程度のカメラを常に持ち歩くのは少々制限がある。重さが活動範囲を狭める要因になる事もあるし、「今撮らなくても良いか」と意思決定の阻害要因になる事もある。

また、コンデジには高性能を求めていない。出来過ぎるカメラはα7Ⅲで十分だ。仕事を終えて帰るとき、時間を持て余して散歩をする時、友人と何気ない時間を過ごす時、そういった時間の中で写真として時間を記録をしていく。

結論簡単に言えば「ポケットに入るくらいのカメラがあったら良いのに」という私の希望をGRは満たしてくれた。スナップシューティングを行わない自分がこの1週間で写真を撮る量が増えたのは、GRというカメラが役割補完をしてくれているからである。

GRを購入した理由は比較的価格が落ち着いている事も挙げられる。現行機種であるGR Ⅲが発売され、二世代前のこのカメラは中古で3万円だった。正直現行機種が出ているという事で安く、良いカメラを手に入れることができた。発売時期も8年前という事で機能面で現行機種に劣るのは当然かと考えられるが、簡単にそうとは言えないのがGRの魅力の一つでもある。

まず、GRとGR Ⅲを比較すると、GRⅢにはストロボが内蔵されていない。ボディのサイズや軽量化を図るにあたり排除されたのではないかと考えられるが、GRで作品撮りを目的とする私としてはストロボが内蔵されていないというのはかなり痛手であった。内蔵ストロボではなく外部ストロボとしてしまえばそれではGRの必要性がなくなり話は振り出しに戻ってしまう。それにコンデジの内蔵ストロボにある良い意味でのチープさ、みたいなものが好きだ。出来の良いものだけを生成していくのではなく、カメラの機能の限界がある中でこのカメラでできるだけのことをしていきたい。

それにストロボが排除されてはいるが、見た目も大きさも、さほど変わらない。α7 Ⅲをバッグに入れて歩いていた自分からすれば245gという軽さでも十分なメリットだ。

もう一つはWifi内蔵がされていないあまり、初代GRの出力は全てSDカード経由になるということだ。これも大して現行機種が魅力的ではなかった理由の一つだ。GR Ⅱが発売された段階でWifi機能が内蔵された。Wifiが内蔵されたことでスマホに簡単に写真を共有する事ができるのだが、不要だ。基本撮影から現像までの過程があるのでGRのデータを即効性を持って必要になることはない。ましてや作品撮りとはいえどあくまでもパーソナルフォトの一環に過ぎないので他人にすぐに見せることもない。初代GRはパーソナル且つある程度アナログな面を持ちながらじっくりと写真を撮る自分には最適なコンデジであったということだ。

 

何はともあれ、友人には感謝だ。

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20210731

引っ越して2ヶ月。だいぶ色々なことに慣れた。特に自炊はこの1ヶ月で数をこなすようになり、引っ越して間もない頃と比べて食べる様にもなったし、レパートリーも増えた。出張続きの自分からすれば保存期間の長い食材をいかに使い切るかが課題であり、作り置きも覚えたし、出張帰りの日も冷凍しておいた食材を食べられる様になった。節約とか金銭的な問題よりも健康的な問題の方が今期の私からすれば問題なので、大きな進歩かなと思う。

4回目の緊急事態宣言、という言葉も感染者数が東京で3000人を超えたという報道も、正直ライフスタイルがこれ以上大きく変わる事がない以上、もはや言葉の重みを感じることはできないだろう。言葉に重みも、危機感も、重要性も、そこにはない。勿論自分自身が感染してしまうかもしれない恐怖(症状というよりも社会的に隔離されてしまう事への)がある。それに人数を聞いて一番に思う事は都内の病床数や施設数、医療従事者への負担を想像するだけで自分の様な人間が迷惑をかけてしまうのではないか、という気持ちもある。そう思えば3000人という数字は非常に大きな問題である事は間違いではないのだが、断片的に抉り取られる報道や言葉を観ているとどの判断の元に選ばれたのか、という理由は常に問いたい気持ちでいる。

そういえばこの家にはテレビがない。買うつもりもない。あれば嬉しいしきっと見るのだろうが、無いこの生活でも充分に生きていける。元々小さな頃から母親がテレビを独占して観ている様な家庭だったし、テレビに釘付けになった事も多くない。テレビの無い生活はずっと小さな頃から今まで続いている。

先日その話を上司にしたところ、「テレビが無いってどういうこと?」と言われた。非常に驚いている顔をしていた。特に今はオリンピック真っ只中だし、その顔には「お前、オリンピック観ないのか?」という感情も混ざっていた事に違いない。最後にオリンピックを意識してみたのはいつだろう。北島康介が平泳ぎで金メダルを取って「気持ちいい、超気持ちいい」って言っていたことくらいしか記憶がない。あの時は私自身も水泳を習っていて(密かに水泳選手になりたいという夢があった、あの時は純朴な少年の様な夢があった。)平泳ぎがあんなに早く泳げるんだ、と夢中になっていた。ただ、それ以降にオリンピックは私の記憶には焼き付いていない。

テレビの話、オリンピックの話を上司にされた時、何となく私の中に一般的に通ってきたと思われる道がない事に気がついた。この前会った異性にも「ジブリ観ていないんだ」と若干引かれた様な驚き方をされたし、優しい映画(それが何なのかはよくわからないが・・)を観ていないから「人の心が無いよ、それは」と言い放たれたり、散々だ。今の時代、自分の意思で「何となく社会的に通った方が良いもの」を選んで通る事もできるのだろうが、この歳になって今更それを選べない。プライドとかそんな些細な感情ではなくて「選ぶ方法がわからない」が適切だ。根本的に幼少の記憶やこれまで育てられた環境、生きてきた環境も少しは影響しているのではないかと思う。それに今更「通ってきていないからおかしいと言われてもなあ」と思うし、観ようとは思うがこれまでに無かった「人の心」を回収する気持ちは一切無い。(これはプライドなのかもしれないが)

「人の心も痛みも、誰かに私自身が伝えられる様な、助けられる様な、そんな人間になれるわけがない」と思っているから、多分何を観るにしても自分の為にしか観ない。だから、ホラーを観たり、スリラーを観たり、してしまうのかな。正直「人の心が無い」と言われた時はショックで相手の方が「人の心が無いのでは」と思ったり、ショックを受けて「人の心が私にもあるじゃない」と思ったり。感情は複雑だ。

20210711

近況報告

今月22日で引っ越してから1ヶ月が経った。在宅環境は整ったと言いつつも出社しなければ解決できない内容の業務が多く、先週に限っては平日全て出社又は出張だった。家に帰っても洗濯と掃除、少しの食事と休憩。すぐに眠れば朝が来て、仕事といった様に私生活は平日に少しもない。コロナ禍でなかったらこれが毎日続くのかと思い、震える。

ある程度は生活に慣れ、日々のルーティーンが確立し、最寄りの街並みに対して好きな場所も少しばかりではあるが見つかった。まだまだ部屋は未完成ではあるが、落ち着いて毎日を過ごすことができている。この場所に引っ越して良かった。

ただ引っ越した中でも問題なのが、「自炊」である。最初は意気込んで色々なレシピを見て作っていたのだが、職種柄遅くに終わる事も多いし私の場合は出張もある。ある程度長期保存することのできるパック詰めのものがあれば何かと活用できるので楽ではあるのだが、野菜を食べるのがスポット的に買う必要が出てきてしまうのだ。スポットで買うとやはりスーパーであれ単価は高くなるし、腐って捨てるよりは確実に良いがそれなら総合的に見ても自炊する必要があるのか?という話にもなってくる。私は菜食主義とまではいかないが、基本的に肉や脂質の多い食事は苦手な傾向にあるので、なるべく自分一人で食べるものは野菜やサラダチキンが多い。(反面、マクドナルドとかファストフードはたまに食べると頭が溶けるくらいには美味しいと思っているので矛盾していると思われそうだが)

毎朝プロテインを飲み、昼食はコンビニサラダとサラダチキン、夕食も野菜。いつからこうなったのかは定かではないが、何となく大学生活四年間が最もこうさせてしまったのではないかと思っている。

大学の頃からとにかく時間ばかり気にして生活していた。アルバイトもそうだが、学部2年の頃から趣味として写真に没頭し、食事なんてものよりも・・といった食事の優先度が下がってしまった事が大きいのではないのだろうか。

こういった生活は他人からすれば「食事に興味がない人」と思われてしまうのだろう。私自身もそれは仕方のないことだと思っている。事実、自分で「食べたい」と強く思った事がこれまでにない。振り返れば友人との食事においても「これ食べたいんだよね。」と言った事がこれまでにあっただろうか。

同時に、食事に対して感動を覚えない人間になりつつもある。誰かと食事をしていて、相手が「美味しい」と言ったその時に「美味しい」か「美味しくない」かの判断ができなくなっている、これについては先日久々に他人との食事をしているときに思った事だ。

 

耳が詰まりました

先週から片耳が聞こえなくなった。というとかなり大事の様に聞こえるが、耳の内側で炎症を起こし、それが血豆となり右耳が塞がってしまった。塞がったと同時に耳への圧迫による痛み、頭痛。日常生活に支障が出てしまったので最寄りの耳鼻科に時間休を取って行くことにした。

医者も私の耳の腫れ具合を見ては驚いていた様で、内心とんでもないことになったのではないか・・と思っていた。処方された内服薬と点耳薬で痛みと腫れを抑えましょうとのことで、暫く様子を見ることになっている。

処方箋のおかげもあって、今は痛みも腫れもだいぶ落ち着いている。身体の不調は早く治すべきだ。一人暮らしなら尚更の事かもしれない。

ただ、当然のことなのだが再診して許可をもらうまではイヤホンをつけることができない。好きな時に好きな音楽を外で聴くことができないという事は予想以上にストレスな生活であり、音楽が私に染み付いているのだと実感する。こういう時に限って雨宿りで入った喫茶でいかにもな商談をしていたりする。それも風情と言えば風情だけど、雨と湿気もあって余計に鬱陶しい。もう少しの辛抱。頑張ります。

 

20210606

引っ越しました

大いに悩んだ結果、5月下旬に東京に引っ越した。「ずっと一人暮らししたいですよね〜」と会う度に言ってきたが、自分としても遂にといった感じだ。実際一人暮らしする理由はやはり出張エリアの遠さにあった。片道3時間と少し。この時間は流石に勿体ないと思った。洗濯・食事・掃除と何もかも自分で行わなければならないが、それすらも容易に許容するレベルだと思う。とはいえ東京と言っても、ここは郊外。新宿までは50分弱かかる。引っ越してから新宿に降りたのは先週の写真の仕事くらいだ。これまで「東京」と言えば新宿に行くことが多く、生活から新宿が離れたのは少々寂しさを感じる。新宿に頼っていた店やそれ相応の場所を引っ越し先の街でも見つけていかなければならない。

私が引っ越したのは立川市で、駅周辺で生活は完結する。伊勢丹高島屋もあるし、ルミネもある。ざっくり自分が調べた限りでは、よく行くブランドのショップもある。特別困る事は無さそうだ。それに自分にはこの「東京郊外の感じ」がぴったりな気がしている。

駅を離れてみてもモノレール沿いにあるIKEAを目的に歩いていくと拓けた商業施設がある。皆ベンチに座っては人と会話し、人と食事をしている。引っ越して早々に「この街に引っ越してきたは良いけれど、知り合い居ないな、そういえば。」と寂しくなった。友人と会うなら勿論立川以外で会うのだろうが、良い街だと思う。いつかこの街に自分も溶け込みたい。

東京を思い浮かべると(あまり「東京」という肥大化した固有名詞で語りたくはないが)、どこもかしこも人で溢れかえり、誰もが忙しなく、自身と有限な時間を擦り合わせては次へ次へと進んでいく、どこか寂しい街の様な印象がある。勿論それだけが私的「東京」ではないが、そこで日々を過ごすのは田舎出身の私には窮屈な気がしていた。

遠くもなく近くもない、都心30-50分という距離は、立川市に身を置く大きな動機の一つとなった。住んでみて様々な問題も判ってきたが、基本的に家賃も安くてかつ一人で住むには十分過ぎると言っても良いくらいのスペースが確保されている。少し余裕があるくらいが丁度良い。

一人暮らしは勿論、引っ越しは初めてだ。周りの友人が皆一人暮らしを早々に始めていた事もあり、24歳男性会社員、一人暮らしを始めるのは遅すぎたのだろうかと気にしていた。同時に健全な家庭環境の下に成り立つのかな、とも思う。(この辺りの話は各人それぞれであり、特別深く掘り進める事でもないとも思うが)先に一人暮らしを始めた友人・知人を見ては良いなと思う反面、「どうして一人暮らししないの?」という言葉を言われる度に下唇を噛んでは反論を堪えていた。色々あるんだよ。

電化製品も家具も選ぶわけだが、はっきり言ってどのサイズが自分に適切かよくわからないまま買った。住んでみないとどれが良くて駄目で、なんてわからない。とりあえず電化製品は予算を越えない範囲で揃えた。家具は最初だし、と金銭感覚を無くして買い揃えた。

といっても大体の家具はIKEAで揃えた。同じ様なものを他メーカーで揃えたら幾らになるのかは見当付かないが、組み立ては自分だけで行ったし、工賃費を考えれば安価に抑えられたのではないかと思う。あとはサイドテーブルが欲しいな、なんて思っているがゆっくり考えていけば良い。もう衣食住の環境は完成している。

完成したとはいえど、インテリアは気にし始めるとキリがない。これまでホームセンターも家具屋も一切自分に関係のないと思っていたが、いざ一人暮らしを始めてみると輝いてみえる。この机を置いたら、この棚を部屋のここに置いたら、なんて考えては一日が過ぎていく。

住みはじめて2週間で在宅勤務環境を含む諸々の環境整備ができたので、あとは街に出るための自転車を買ったり細々とした雑貨、自炊も折角なので本格的にしていきたい。少しずつ気がつけばで良いと思う。流石に初期費用で自身の貯金をかなり使った。消費した分労働をせねば、と自分自身を鼓舞できるのは都合の良い性格だなと思う。普段写真の仕事で関係している人に「東京(一応)に越したんですよね」と言ったらこれまでより振ってくれる仕事が増えた。なんだかんだ、東京に居たほうが声掛けしやすいですよね。わかります。

この出張生活もいつまで続くのかわからないし、本職の上司も「早々にお前を神奈川に戻してやるから」と言ってくれている。有り難いし嬉しいのだが、かなり良い環境で住居をかまえてしまったので数年はせめてこの街に・・とも思う。折角だし去る日が寂しくなるくらいには、堪能したい。

20210425

立川駅10時。今日は何度目かの物件探しの日だ。思っていたよりも物件探しに時間を取られてしまった。自分の理想と現実の剥離を感じる瞬間というのは実は物件探しにあるのかもしれない。何を思い、何を必要とし、何を不要と思うのか。取捨選択の必要性と、自分の思い描く事柄が簡単に叶うはずもないのだと思う。

これから仕事の関係もあるだろうが少なくとも二年くらいはこの街に身を寄せる事になる。街並みは悪くない。元々育った環境もあるのだろう、それなりに駅から離れていても苦ではない。寧ろ近くは閑散としていて欲しい。

「これから立川近辺に住もうと思って。」というと知人からは「遠い」と言われてきた。無論、友人達が自宅に来る事はほとんどないと思う。実際、都心からは離れているし(それでも新宿に30分で着く事ができるというのは今の私からしたら好立地だ)立川で用が済むので都心に向かう事も頻繁には無さそうだ。私からすれば一つの街で生活が完結するというのは大きいし、それなりに知人とは離れた場所に住みたかったので丁度良い。あまり人を家に入れたくないというのもあるのだが..

話を戻すが、今日の物件探しで来月末からの住まいを決めた。築浅で一階である事を除けば何もかもが理想と合致していて、これ以上の物件は無いかなと思った。それに何故か家賃も交渉していないのに今日不動産屋に行ったら安くなっていた。何か訳でも・・と思っていたがそんな事もないみたいだ。好機と思って住んだ方が良いのかもしれない。

物件に何を求めるか・・と言えば築浅で家賃対敷地面積くらいなのだが、今回の物件はクローゼットも今の自室の押入れ並に大きく、服以外の雑貨も入りそうだ。カメラ機材が多い私からすれば、収納という面は物件探しにおけるおまけ程度のメリットとはならない。これも要件クリアという事でかなり嬉しい。

正直何件も観てきたけど、もうここまでくると住まなきゃわからない、みたいなところもある。不便な部分も飲み込みながら物件と共存していくしかない。きっと皆もそうなんだろう。最初だから何か緊張しているだけなはずだ。

20210418

久しぶりに何も予定のない休日。その日が終わると何かしら予定を入れても良かったのではないかと思うのだが、毎日の様に何かに追われる日々、少しくらいは足を止めても良い。

そうは言ったものの、土曜日は大雨で元々の予定がリスケジュールになった。勿論、大雨の中で遂行できる様な内容の予定ではなかったので、一日中家でゆっくりとする事にした。

いつもなら本を読んだりするのだが、どうもこの頃は身体も精神も思った様に機能しない。単に疲れているから、日々アクセルを踏みすぎなのだろうが、思う様にいかない自身を俯瞰していると、途端に気持ちが沈んでくるのである。どうにも昔からこの性格、治りもしないし改善もされなくて気がつくと自暴自棄になっている。流石に誰とも話さないで一日が終わるのはまずい気がしていたので二時間程最近知り合った異性と電話をすることにした。

何も知らない状態から探りを入れるというのはどうもお互いに擽ったい。話していると共通点は喫煙者である事、喫茶巡りが好きな事(喫煙できる店に限る)と、死生観だけだった。共通点がありすぎても後々困るので、内容は置いておいて丁度良いのかもしれない(個人的には共通の趣味嗜好は深度が異なる場合に互いの関係に歪みを生むと思っているので寧ろ無いくらいが良い様にも思える)

今、私はその人に教えた喫茶店でブログを書いている。調べれば出てくるくらいには有名な喫茶なのだろうが、わざわざ「ここが好きで」とは公には言いたくない、隠したい、そんな喫茶店。喫茶問わず好きな事柄をなるべく自分のものだけにしたいという気持ちは忘れない様にしたい。

久しぶりにラルクを聴いて外に出てみたが、昨日とは変わって快晴、ドライブ日和だ。外に出て太陽の陽を浴びるというのはヒトとして重要な事なのかもしれない、と思う。何でもない日に晴れた日は思い切って外に出る。そうすればきっと音楽やそれに乗じた自分自身がどうにかしてくれるはずだ。次に出張行く時はラルク聴いて運転しよう。

youtu.be

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202104

4月。生活が忙殺されていく、といった言葉がこれ程に合う時期はないと思う。

3月は突然の辞令から私自身を含む人事異動ですっかりとこの2年間で築いてきた関係がリセットされてしまった。

東京都内で営業をしているはずの3年目が、突然の地方だ。しかも担当県は私一人で持たなければならない。

慣れない特急乗車、慣れない運転、慣れない出張。全て初めてだ。

元々遠くに出るのは好きだが、仕事となればそれもまた別の話である。何もかもが時間の拘束の中で動いている。

こういう時、一人でいる時間が好きな自分ですら何だか人恋しさというか、寂しさを覚える。業務の事しか話さない日々というのは決して一人の時間だとしても心地良くはない。

予想以上に出張が過労になる事を知る。恐らく新しい環境や行動に慣れていないからなのだろうが、今週は身体の節々に疲労が蓄積されていた。

漸くして迎えた休日も、何だかんだで引っ越しをしようと物件探しに早朝から都内に向かった。出張するにあたって、なるべく特急に乗る時間だけにしていきたいから、東京の郊外だとしても近いところに住もう、と。

何だかんだで私生活すら会社の事情に支配されている、そう思うと居心地は非常に悪いのだが、東京郊外とはいえど近くに住まいを持つという事は好機なのかもしれない。地元駅とは比べ物にならない程施設も、機能も充実しているし、一人暮らしを始めたとしても困る事はないだろう。

そんな自分は今、渋谷のカフェで物件探しと作品撮りの合間にこうして駆け足でブログを書いている。とにかく思いついた事を書き留める。あまり文体がどうとか、構成がどうとか、いつもみたいに考えている暇はない。時間がある時に書けば良いのだろうが、思いついた時にそのままに書き留めるのも大切だろう。それに明日もまた編集作業が溜まってはそれに明け暮れる日々だ。若干納期が迫ってきている事を除けば、割と生活は双方で充実しているのではないだろうか。ただ、こういう時に限って身体を壊しやすいので、そろそろ丸一日何も考えない日を作らないといけないような気もする。

平日の仕事を言い訳に、休日の仕事の言い訳をしたくはない、と精神的には思っているのだが、思いの外先に述べた出張が身体に鞭を打っている。早く慣れたいし、早く一人で担当しきれる様に捌いていきたい。きっとそう思えた頃にはまた異動するのだろうが。

ただ、こうして休日は都内で仕事もできている。幸いにも異動は東京本社内の部署異動に落ち着いている。何だかんだで東京が自分の生活の中心になっている。いつからか。東京を本当に離れる時が来たとしたら、それこそが人生を考え直す時期なのだろう。