20210711

近況報告

今月22日で引っ越してから1ヶ月が経った。在宅環境は整ったと言いつつも出社しなければ解決できない内容の業務が多く、先週に限っては平日全て出社又は出張だった。家に帰っても洗濯と掃除、少しの食事と休憩。すぐに眠れば朝が来て、仕事といった様に私生活は平日に少しもない。コロナ禍でなかったらこれが毎日続くのかと思い、震える。

ある程度は生活に慣れ、日々のルーティーンが確立し、最寄りの街並みに対して好きな場所も少しばかりではあるが見つかった。まだまだ部屋は未完成ではあるが、落ち着いて毎日を過ごすことができている。この場所に引っ越して良かった。

ただ引っ越した中でも問題なのが、「自炊」である。最初は意気込んで色々なレシピを見て作っていたのだが、職種柄遅くに終わる事も多いし私の場合は出張もある。ある程度長期保存することのできるパック詰めのものがあれば何かと活用できるので楽ではあるのだが、野菜を食べるのがスポット的に買う必要が出てきてしまうのだ。スポットで買うとやはりスーパーであれ単価は高くなるし、腐って捨てるよりは確実に良いがそれなら総合的に見ても自炊する必要があるのか?という話にもなってくる。私は菜食主義とまではいかないが、基本的に肉や脂質の多い食事は苦手な傾向にあるので、なるべく自分一人で食べるものは野菜やサラダチキンが多い。(反面、マクドナルドとかファストフードはたまに食べると頭が溶けるくらいには美味しいと思っているので矛盾していると思われそうだが)

毎朝プロテインを飲み、昼食はコンビニサラダとサラダチキン、夕食も野菜。いつからこうなったのかは定かではないが、何となく大学生活四年間が最もこうさせてしまったのではないかと思っている。

大学の頃からとにかく時間ばかり気にして生活していた。アルバイトもそうだが、学部2年の頃から趣味として写真に没頭し、食事なんてものよりも・・といった食事の優先度が下がってしまった事が大きいのではないのだろうか。

こういった生活は他人からすれば「食事に興味がない人」と思われてしまうのだろう。私自身もそれは仕方のないことだと思っている。事実、自分で「食べたい」と強く思った事がこれまでにない。振り返れば友人との食事においても「これ食べたいんだよね。」と言った事がこれまでにあっただろうか。

同時に、食事に対して感動を覚えない人間になりつつもある。誰かと食事をしていて、相手が「美味しい」と言ったその時に「美味しい」か「美味しくない」かの判断ができなくなっている、これについては先日久々に他人との食事をしているときに思った事だ。

 

耳が詰まりました

先週から片耳が聞こえなくなった。というとかなり大事の様に聞こえるが、耳の内側で炎症を起こし、それが血豆となり右耳が塞がってしまった。塞がったと同時に耳への圧迫による痛み、頭痛。日常生活に支障が出てしまったので最寄りの耳鼻科に時間休を取って行くことにした。

医者も私の耳の腫れ具合を見ては驚いていた様で、内心とんでもないことになったのではないか・・と思っていた。処方された内服薬と点耳薬で痛みと腫れを抑えましょうとのことで、暫く様子を見ることになっている。

処方箋のおかげもあって、今は痛みも腫れもだいぶ落ち着いている。身体の不調は早く治すべきだ。一人暮らしなら尚更の事かもしれない。

ただ、当然のことなのだが再診して許可をもらうまではイヤホンをつけることができない。好きな時に好きな音楽を外で聴くことができないという事は予想以上にストレスな生活であり、音楽が私に染み付いているのだと実感する。こういう時に限って雨宿りで入った喫茶でいかにもな商談をしていたりする。それも風情と言えば風情だけど、雨と湿気もあって余計に鬱陶しい。もう少しの辛抱。頑張ります。