二面の「私」

noteは実名を持って書いている。以前(というより並列しているが)はてなブログに思考整理と称して汎ゆる事物や本や芸術に関して自身の捻くれを利かせて文字書きをしてきた。

匿名ブログであるはてなブログで書いていた最大の理由。それはテーマという思考を緊縛する世界線で文字を書く事は「誰かに理解される事が全ではなく、そこに充足感を得たいと思っていない私」にとって最悪の精神の居場所であったからであり、はてなブログという「疑似自由空間」に身を置くことで私の、私自身でもよく解っていない「思考」をなるべく文字を書く事で明瞭な物へと变化させたかったのである。

しかしnoteにおいて私は実名で書くという制限空間の中で文字を書いている。これが非常に苦しい。胸に何かを詰められたかの様に苦しい。何が苦しいかというと、実名を持つ事によって文字に対する責任を伴い、書いた瞬間に独りで歩いていく文字を後ろからじっと見つめて生活していく事が苦しい。時にそれは飼い馴らした愛猫に対する愛着精神を抱く事もあれば、別れた異性に対するある種の嫌悪の様な感情を抱く事もある。殆どは後者である事が多い。

ブログに限らず実名を使って運用しているSNSもそうだし、実世界での私が存在している空間においても同様の感情を抱く場面は多々存在する。上記だけでは「実名を持ってSNSを運用しなければ良い」が最適解の様に思えるが、実世界でも同様なのだからどうしようもないなという気持ちだ。

話を冒頭の「捻くれを利かせた文字書き」に戻したい。捻くれを利かせているのは意思ではなく根っからの性分によるものであった。私は社会、他人、事象といった、ありと汎ゆる事物に対して斜に構える癖がある。それを自覚しながら匿名性に頼って(またはそれに責任というものを擦り付けながら)書いてきた。斜に構える事が、何か善し悪しを決める様な事はないと思っているが、自認する事によって私に内包する感情は「苦悩」へと変わった事は確かである。また、斜に構える事を促進させたのは紛れもなくSNSという存在による「無意識の情報収集」であろう。*1根拠のない発言や社会情勢に対する無責任な言動と心理。私自身に必要のない他人の近況と私のインスタントな思考整理。頭では理解しているつもりだが、SNSは無思考に使う人間が一番上手な付き合い方であると考えている。私はいつからかブログをはじめとするSNSにおいて文字書きをすることが辛いと感じる様になっていた。

そんな私の煩悩を打破した一助に「若林正恭」という人間が存在する。思えば小さな頃から好きな芸人、コンビはと考えると決まって「オードリー」だった。また、私の好きな番組の一つに「オードリーさん、ぜひ会って欲しい人がいるんです。」がある。中京テレビを中心に全国で放映されている本番組ではオードリーが会いたいと思う視聴者に出演してもらい、特技や出演者の苦労話を探っていく番組だ。この番組には漫才でもバラエティでもない、二人の人間性を垣間見える瞬間がある。例えば、「他人の作った料理は食べられない姿」とか「明らかに苦手な性格の人間には前向きではない話の展開をしている姿」である。他にも多々あるが、妙に若林氏には興味を惹かれていた。(市野瀬アナと意思衝突の回は何度見ても面白い。)また、先日放送されていた「中居正広の金曜日のスマイルたちへ」では、「異性と二人きりで食事をする際には話の銃弾を7つ程込めて臨む」というシーンに親しみを抱いた事もあった。

ここまで若林氏に興味と勝手な親近感を抱いた私は、氏がエッセイを出版していた事を思い出した。調べてみると数冊出版しているが、中でも今回読んだ一冊は「ナナメの夕暮れ」だ。本書では若林氏の40代にさしかかるまでに連載された、エッセイの集大成である。下積時代の尖り捻くれた若き氏や、事物に対する否定的感情を生まない為の氏の努力。40代になるまでに持ち込んでしまった氏の苦悩やナナメ目線の要素がふんだんに詰まっている。

books.bunshun.jp

価値下げによる自己肯定は楽だから癖になる。ハロウィンの仮装、バーベキュー、海外旅行など、それらをSNSでコソコソと価値下げ攻撃をしていれば、反撃を食らうこともないし自分がそういうムーヴメントに流されない高尚な人間のような気分も味わえる。ぼくの場合、高校を卒業してから物事に対する価値下げは加速していった。大学でサークルに入ること。学園祭に本気で取り組むこと。海外に一人旅に出ること。告白すること。何でも〝みっともない〟と片付けて、自分は参加しなかった。そうやって他人がはしゃいでいる姿をバカにしていると、自分が我を忘れてはしゃぐことも恥ずかしくてできなくなってしまう。それが〝スタバでグランデと言えない〟原因である。誰かに〝みっともない〟と思われることが、怖くて仕方がないのである。そうなると、自分が好きなことも、他人の目が気になっておもいっきり楽しむことができなくなってしまう。それが行き着く先は「あれ?生きてて全然楽しくない」である。他人への否定的な目線は、時間差で必ず自分に返ってきて、人生の楽しみを奪う。*2

上記引用は私が本書を読み進める上で最も印象に残った一節である。価値下げによる自己肯定は現代における病に近いものではないだろうか。それなりにSNSを使っていれば他人の行動や発言に対して「ナナメ」に見ていたり、直接言わずとも対象の価値を心の内で否定し「価値を下げる」事で自己肯定感の充足から高尚な人間になった瞬間があるのではないだろうか。

何か自分自身で行動を起こして満足を得るよりも、他人の行動に対して共感や批判をする事による「インスタントな」満足感は得る事が容易い。また、思考を凝らす時においても「共感」に縋る事であたかも自分の言葉の様に手に入れる事もできる。そんな無思考による質量の無い言動に対して批判するつもりは一切ないという事はここに記しておきたい。

話は匿名性のブログから実名を持った本ブログを運用する理由へと戻る。私が実名を持ってブログを書く理由は、発言に質量を持たせたかったからだ。私は「実名を持つ事によって文字に対する責任を伴い、書いた瞬間に独りで歩いていく文字を後ろからじっと見つめて生活していく事が苦しい。」と前述したが、それは見ている他人がいると錯覚しているからであって、実際には見ている人なんて誰もいないくらいの気持ちで自身の思考と対峙し続ける事が、発言への質量を含ませる事へと繋がると考えている。匿名性に縋る事なく、私は実世界における事象や事物に対して私自身の思考が、どの様に私自身にはたらきかけるかを追い求めていきたい。それが本ブログの最適解であると考える。

私において20代前半という年齢がまだ「尖りや世間に転がる事物を斜めに見る年齢」だとしても、自認した瞬間から苦痛であり続ける。同時に日々それを打破したい/自身をアップデートしたいという願望が存在する。若林氏はそれを40代になるまで気が付かなかったと述べ、例え20代に起こる過去の出来事が「今に活きている後悔」だとしても本人とって他人には理解を得られない相当の苦悩があった事も読み取れる。若林氏の等身大の言葉と経験で書いた本エッセイはその集大成であって、今その苦汁を嘗める私には方向性を問い正してくれる良いエッセイであった。このエッセイに出会えた事に感謝したい。

*1:もう一つ「孤独」なんて存在もあるが、これは大切に心の内にしまっておきたい。

*2:若林 正恭. 「ナナメの夕暮れ」-「ナナメの殺し方」より。

自室独房生活十日を経過して

4月に入り、生活ががらりと変わった。

新型コロナウイルスの影響もあって、仕事は4月に入ってからずっと在宅勤務だ。これまでずっと在宅勤務が可能か不可能かは、空論のままであった。しかし状況が状況だからか急速に社内の改変は進み、無事に在宅勤務制度が整った。まだ上層では古臭い社風を漂わす様な気配も伺えるが、現に東京に出向かなくても良いというだけで安堵している。私は実家で暮らしているし、東京から帰ってくる私が感染源となってはいけない。私自身が感染するということよりも、潜伏期間が長いと言われている新型コロナウイルスを家族に撒き散らす訳にはいかない。社会人2年目ということもあって、未だに社内のルールや動き方に不明瞭な部分もあるけれど、幸いにも私の属しているチームの上司は私の家庭環境や内情を理解してくれている。恵まれている環境下で労働をすることができていると感じる日々である。正直、上司が人格者であるとは入社当時には思ってもいなかった。本当に有り難い限りだと思う。

正直、最近の私は新型コロナウイルスに酷く精神を蝕まれていたし、電車に乗るだけで自分が感染してしまうのではないかと恐怖心を抱いていた。治療薬の発見されていない未知のウイルスだから、そうなってしまうのも仕方ないと普段の私の性格から感じている。反面、これでも外で複数人で遊んだりする人がいるのも確かであった。(さすがに最近になって減ったが)身近な人は幸いにもそういった人が少ないと思っているが、この状況下をどう読み取るのかは人間関係にまで侵食している様な気がしてならない。ウイルスではない人間による二次災害は既に始まっている。

ただ、私は在宅勤務ができる職業柄だが、できない人もいる。その様な人たちが一刻も早く安心していられるような日常に戻って欲しい。綺麗事の様に聴こえるかもしれないが、人の外出を減らさない限りはどうにもならない。本当に頼むから馬鹿は消えてくれ。

そんな私の生活はというと、朝8時に起きてシャワーを浴び、自室に籠もる日々を繰り返している。殆どは18時に仕事を終え、固まった足を解しに軽く人気の少ない夜道を風になびかれながら散歩をする。幸いにも田舎に住んでいると、気分転換に人の居ない場所に外出ができる。たまにはドライブも良いかもしれないが、過度な外出はそれでも止めにしておきたいところだ。そして毎晩の様に酒を飲み(これが私にとって一番の弊害かもしれない)、本を読んだり新しい企画を考えたりする。通勤時間が削減されたことで異常に疲れることもないし、精神的にも楽だ。そんな生活を持って始まった社会人生活2年目。

不慣れな自室独房生活。気分転換にと近所の花屋で買った赤い薔薇やカーネーションを飾ったりして気晴らしに眺めている。毎日水を替え、花の栄枯盛衰を見届ける。これだけがこの部屋の中で時間の経過を教えてくれる。花と共生する事で自閉的にならずに済んでいる。これまでの私では想像のできない日々と時間が私の内に訪れようとしている。

新型コロナウイルスによって日常が奪われていくということは、同時に季節を奪われるということであって、これまで何の焦りも不安もなく道端に咲く花々や桜を見ては季節を感じてきた。時間の経過、季節の経過、自然の経過。これから先も閉じ籠もって生きていれば、幾らバーチャルが発達しようとも、心は褪せて廃れていく。

無事に来年は桜を見て、綺麗だと言いたい。来年どころか、夏を無事に迎えたい。大きく休みを取って、絶対に旅行に行くと決めている。会社から貰った2万円の食事券が夏より後には使えなくなってしまう。だから今、社会に対してできる事を。STAY HOME.

経過

 先週、酒を交えながら親友に言われた「僕はずっと小中高と友達を大切にしてこなかったから」という言葉に引きずられている。私自身がその「大切にされるべき存在」であるかはさておき、他人に私が「価値」として存在している事は私自身の精神を大きく揺らがす結果になった。

 今週もその親友と酒を交えた。何を話しても彼なりの言葉が返ってくる。彼は聡明であり、社交的な性格で、私とは対称的な存在である。対称的な存在とは、日々生きていく中で関わりを持つ事は私の中で難しく、「苦しみ」さえ感じる事もある。けれどもその対称的な存在である彼は、私の中でも長い時間を一つの場所で過ごしてきたからこそ、分かり合える数少ない親友である。共有する時間は、喪失した場合の感情を肥大化させる要因へと変わる。私も失いたくはない。

 趣味嗜好、彼とは何が共通項として持っていたか、友人という関係性が始まってから、未だに解っていない。強いて言うのであれば「若干の本読み/文学好き」であることと、「異性との何らかの問題点」くらいだと思う。対称的な存在だから、そのくらいの共通項で十分なのかもしれない。私とこれ以上に関わる事で、彼が私の様な思いをしないことを願う。

 

三島由紀夫vs東大全共闘について、鑑賞したのだから何か書き記そうかと思ったが、もう少し時間をかけて解釈を進めてからにしたい。

以下、どうでも良い思考整理。

 

・退屈な日々の中にいると、その中で心の充足を図る様に人は攻撃的になる。

・行動学入門を読むべきである。

・今こそ、三島文学に内包された「三島的哲学」の理解が現代の私達には必要である。

・個々に存在する「人生」を、自身が「人生は勝手に始まり、勝手に終わる」とは思わない方が良い。地に足を付けている時点で、人生は意味を為している。

・「わたしにしかできないこと」を見出す事が自身の生活、及び人生を広く豊かなものに変えてくれる。何に対しても意味合いを付けて歩むべきである。

 

 

三島由紀夫の本質を理解しようとする私にー「没後五〇年という歳月」

二〇二〇年。早速一月が終わろうとしている。年末年始に疲弊した精神、身体を伸び伸びとさせた私は、それまでの生活を取り戻す事に懸命になり、またしても「世間、どうでもいい」というセンチメンタルな感情に殺されている。自閉的な時間を休日に与えると、どうしてもそこから輝かしい時間を得ようとする気は無くなっていく。それはさておき、こんな映画が上映される事を知る。

gaga.ne.jp

今年は日頃から愛読している三島由紀夫の没五〇年となる。何やら世間も、それを機としているらしく、三月には「三島由紀夫VS東大全共闘」なんてドキュメンタリ映画が公開される。ナレーションは近頃世間を騒がせている東出昌大だ。そんな世間のことはどうでも良いので映画だけは確実に上映していただきたいものである。

 

前置きはさておき、本題を。前置きにも記した、三島由紀夫について昨日の話を。

一九七〇年十一月二五日。三島は市ヶ谷駐屯地で割腹自殺を行った。その事実は、三島愛読者でなくとも、ある程度三島由紀夫という人物を知ろうとする人間であれば、既知の事実であろう。

私の中で、三島由紀夫は大きく二面の人物像がある。文としての三島と、武としての三島。双方を切り分けて知る事ができなければ、四十五年という彼の人生を、理解するには難しい。特に後者は、容易に受け入れるものでもないと思っている。(私自身に特別な政治的思想が無いという事も、ここに記しておきたい。)

冒頭に記した様に、私は日頃から三島を愛読している。仮面の告白を読み、彼の青年期の行く宛のない思想や性癖を知り、只々衝撃を受けた事は今でも覚えている。その後、女神や金閣寺、ラディゲの死を読んでは、三島由紀夫という人物を純粋な気持ちで知りたいと感じる様になった。しかし、私には足りないものがあった。それは文面に存在する三島を読もうとしているだけに過ぎなかったということである。

三島由紀夫という人間が実在していたという事実。三島由紀夫とは一体何者なのか。作家としての彼を知ることだけではなく、全てを知りたいという欲求が、いつしか私の内なる部分に潜みはじめていったのである。

一昨年、豊饒の海を完読した瞬間、それは訪れた。現実、物語に現れる様な情景や台詞といったものを、実際に目にしたいと思う様になった。

昨年の「思う様に行かなかった一年」は、致し方のないものであって、一昨年の様に足を運ぶ事はできなかったものの、三島由紀夫の影響から「他人の死」に対する受容体としての新しい理解を得たと考えている。「死」は悲観的事実であると共に、それは他人にとっては単なる一つの出来事でしか無いのである。死に対して、悲観的になるもならないも、受容体である人間の過去にしか左右されないのだ。これを持って私は、ますます、私が「死」を望んでいると知った。「死」というあの世とこの世を結ぶただ一つの出来事が来るその日に、私は興味を抱いている。覚悟しない「死」だけを除いて。

恐らく、私自身の自覚している性格「俯瞰的世間視」は此処にある。私の半生が一瞬にしてある一人の作家に塗り替えられた様に、三島にもその一瞬が存在していたのではないのだろうか。

そう思った私は、日頃の東京という喧騒の交えた綺羅びやかな街から離れるべく、山梨県にある山中湖畔に訪れた。森林のざわめき、野鳥の囀りを聴くべくして。

私は文学の森公園に訪れ、乾いた空気と枯れた枝々に囲まれた三島文学館に向かった。そこには三島由紀夫がまだ三島由紀夫という人物を描かなかった頃ー「平岡公威」少年が詩人として歩もうとする半生と、「三島由紀夫」という青年の晩年までを原稿や写真から感じられる。少年の乱暴で夢を描いた様な可愛らしさすら感じる絵と、晩年に向かうに連れて完成されていく文章の数々。そこには才能と三島自身の過去に対するコンプレックスへの打破しようとする力強さすら感じる事ができる。

この地に何故三島由紀夫文学館が建設されたのかは、晩年の政治的思想や事実から、何処にも建たなかったという一説もあるが、訪問者としてはこの地特有の冷たく、他人の声も聴こえない「自然な」世界に建設されて良かったのではないだろうか。

文学館の庭園には、三島由紀夫邸にあるアポロン像をイメージした像が設置されており、それと真正面にして座ることができる。冬景色に包まれ、この像を眺める一時に、これ程の淋しさを感じたことはこれまでになかったであろう。正に至福と、追い求めているかのような時間であった事をここに記しておく。

※尚、三島由紀夫文学館でしか購入することのできない、三島由紀夫詩集、文学館オリジナル編集の三島由紀夫という人間を記した本がある。事実文学館に訪れる事は頻繁にはできないだろうから、是非とも訪れた際は手にして欲しい。

www.mishimayukio.jp

なんだか新年

何だか、新年。そういった気持ちで今年を迎えちゃいました。昨年の私は何だか他人に余裕無しの私であり、ご迷惑を多々おかけしました。今年の私は「ワタシ」を演じて生きていこうと思います。目標はインターネットでは語りません。頑張るぞ。今年もどうぞ宜しくお願いいたします。

 ブログを書くのは久々でして、何を書こうかと思いましたが、まあ新年悩み狂っても仕方がないことなので「雑多」という言葉を頼って適当に書いていこうと思います。

 雑多に思考整理

昨年は急がされていた時間の中で生きていたからか、年の瀬を意識することなく終わってしまった。

少しずつ、生活も緩やかさを保つように、落ち着きを取り戻している。

年末年始の大型連休に、会いたかった人たちに会えた。何でもないような時間を共有することが今の自分にとって何よりの幸せであることを、再認識している。

1月末には大きな写真コンペに作品を提出する。地位・名誉を得たいと思っているわけではなく、今年は自分の時間にもっと意味を見出していきたいと思っているからだ。行動と反発。その繰り返しをもって、この1年間を忘れられない1年としたい。

その為には、大きな到達点だけでなく、日々の生活の中で自身が設定した道程から外れないような設計をしていかなければならない。アナログ的だけど、メモをせっせと取ることを始めた。きっかけは年末に読んだ1冊の本からだけれど、日々歩いている中で自分自身と対話を繰り返していくその内容を、脳内で終えることなく、紙に書き記していこうと決めた。無論、iPhoneでも良いのだと思うが、敢えて紙に記すということに固執していきたいと考えている。

やるなら、徹底的にやり遂げたい。自分自身を投影する媒体は何だって良い。でも、日常記録的な写真とメモ、この2つは自分自身を今年大きくさせてくれる存在だと信じている。

 

皆さんもサウナにいきましょう

サウナに行きましょう。至福の孤独空間を求めて。求めるものは決して血行促進だとか、肌が綺麗になるとか、それだけではありません。

何か制作・創作している人(勿論はてなブログにて思考整理を行っている方にも該当する気がしますが)には、「自分自身との対話=孤独」の時間が存在する。サウナは思考整理にもってこいの時間と空間である。

年末には、池袋のサウナ・スパ施設「かるまる」に訪れた。池袋という都内好立地と12月にオープンしたということもあって、非常に混雑している。

karumaru.jp

この施設の魅力は、前述した好立地による、仕事終わりに行けてしまうということと、サウナ好きが唸るような風呂とサウナを既に仕上げている所だ。最大4人入ることのできる「立ちサウナ」や、セルフロウリュのできるサウナ。加えて水風呂の温度設定も整っている。屋上の露天風呂からは焼き肉の匂いがして、それもまた私の愛するビッグシティIkebukuroという感じがして良い。

また、休憩処もリクライニングスペースとコワーキングスペースの2箇所があり、サウナに入りがてら作業をして、サウナに入るといった効率的な時間を過ごすことも可能。

現状は男性のみの利用ということだが追々は女性エリアの拡大も視野に入っているとのことなので、今後に期待も大きい。近くに寄った際は是非訪れて「整って」いただきたい。

 

加えて年末、一人小旅行的な感覚で静岡のサウナ「しきじ」に再訪問。聖地と称されたこのサウナは、どうやらここ最近の「サウナブーム」もあって、行列ができていた。

saunashikiji.jp

しきじの館内は非常にシンプルで、一見昨年の5月に訪れた際は「ここが聖地」と疑問を抱いてしまうほどだった。しかし、浴場に入りサウナに向かおうとするとフィンランドサウナと薬草サウナの2つのサウナが私を困惑させる。

どちらも表現できないほどに熱く、心地よい。これまでに入ってきたサウナと比べて入浴後の満足感が違う。熱が肌を刺すような痛みを感じず、じわりじわりと体内の水分が放出される感覚。新幹線で金額を出してでも向かいたくなる場所だ。

※因みに丁度1年前にもこのようなサウナエントリを書いた。以下に私的サウナの魅力が記されている。

因みに、肌はすべすべ、身体は軽やか、自律神経の刺激による脳内活性化的なものを効果として自覚しております。サウナは良い。

untruth-rx.hatenablog.jp

 

 最後に

今年の私を構成するもの「写真・サウナ・メモ」。

適度に本を読んで日常と自分をうまく切り離していきたいところでございます。

ブログも吐き出す手段の一つとして、エントリしていけたらと。 

Romance

Romance

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存在

9月22日 16時23分 父が現世を離れた。

どうも日が経つに連れてその実感というものは虚実なのではないかと錯覚に陥っている気がする。

遺された母も自分も、何だか気分は明るい。僅かな空元気を振り絞っている。

諸々の葬儀関係が終わり、弔いの感情は其処に置き去りにされてしまったような。その気持ちを安心して抱く事ができるのは、もう少し後になるだろう。

明確な事柄は伏せるとして、遺産には正負が存在する。その実態をどれだけ亡くなった本人がこの世に遺して去る事ができるのかがかなり重要である。

駆け足で行わなければならない事も、焦らずに行えば良いこともあるけれど、そういった分別をする事が難しいくらいには焦燥している。母と私が同じ様に焦ってはいけないのだから、少しでも冷静にいたいものだ。

また、同時にどれだけ自分がこれまでに自由奔放で我儘に生きてきたのかという事を理解する。父が病気を患った六年前、高校生だった私はその事実から逃避を繰り返してきた。

どうも高校生の私には17年間の歳月だけでは実父を失う未来が近いということが酷く恐ろしく、考える事ができる程大人ではなかったのだ。

 

父が亡くなる二年前、叔母が亡くなった。夢を一番理解してくれた叔母がいなくなった時、これほど悲しさを覚える事はなかった。同時に死というものを身近な存在と考える様になり、私における人生のテーマは"理想的な死に向かう人生"になった。

"今を生きる"とは一体どういった事だろうか?夢や目標を抱かないままに限りある時間を過ごす事はこれまでに育ててくれた両親や叔母、そして祖父に背を向けて生きていくことになるのではないだろうか?

漠然としていた当時に叔母が亡くなってから、そんな事ばかりを考え続け、写真を撮る事に時間を費やしてきた。それが正解だろうが間違いだろうが、それは死ぬ瞬間の自分にしか分からないものだと唱え続けながら。

父の死は、それが間違っていないと客観的に支持してくれた。逃避を繰り返している私に、末期の父の為に何ができるのか、ずっと考えていた。亡くなる三ヶ月前、家で立ち上がる事もままならない父が、「頑張るから、立って写真を撮ってくれ」と言った。母はこの日を待っていたかの様に外出用の服を用意して父に着させた。父を撮った瞬間のこの上ない父の幸せそうな表情に22年間分の恩を返せたのではないかと思っている。

写真じゃなくても良かったはずだった。子である私が何か一つでも希望を持って父に姿を向けられるのなら。けれども写真は人と人との距離を縮めてくれる。きっかけを作ってくれる。不器用な親と子の関係を素直にさせてくれる。そう考えさせられた。

 

父の葬儀には生前好きだったポケモンと、写真を飾った。時間のある限り、父の旧友の方々にお願いをして、用意をしていただいた。五十歳を過ぎて旧友がこれだけ協力してくれるという事実に父の偉大さを知った。昔話も沢山聞いた。どうやら家の中では寡黙で冷静な父だったけれど、似ているところが沢山あるじゃないか。と子ながらに思った。

 

ただ、あまりにも早過ぎる。もう少し現世で報告がしたかった。欲を言えばその辺のおじさんの様に酒を飲んでいる姿を見ていたかった。二十歳を過ぎれば酒を飲みに行けると思っていた。お互い煙草を吸って、親子だな、なんて感じる瞬間を目の前で思いたかった。でも、今はもうそんな事を言っても叶わない。それが亡くなった事実よりも辛くて悲しくて、寂しくて仕方ない。だから同世代の人は少しでも両親との距離を縮めて欲しいと思う。叶えられるのだから。

父へ後悔もあれば感謝もある。後悔だけはどれだけ考えても思いつき、尽きないものだろう。だから感謝を忘れない。22年間の間、私を不自由なく育ててくれた事へ感謝して、この人生を充足させる事が最大の恩返しであると信じながら。

やがて死ぬ

 人の精神を焼き殺すように都会の夏という季節は暑く、苦しい。夏の風物詩の一つとして縁日や花火といったものがあるが、私は冷房の効いた喫茶店で無心で文章を読んだり、書いたりする方が良い。本の中で季節を知ると、どうも自分にはその情景を再現したくなるような感覚に陥るが、夏だけは別物だ。日光が身体を焼き、火照る身体が精神を殺す。その過程は実に一瞬で、私は酷く嫌っている。だが、夏になると途端にアイスコーヒーが美味くなる。恐らく夏を生きていく為の術として、与えてくれたのだろう。

 昨日とは変わって、今日は日中の予定がなかった。久しぶりの休日のような感覚を覚える。普段時間に追われて歩く新宿という街も何だか少しだけゆっくりと時間が流れているような気がした。「写真」という広義で個人にしか理解できない概念をずっと考えていた。写真を撮るとはどういうことか。写真を何故撮っているのか。時間に追われると、いつしか自分自身を殺している様な気持ちになるから今日くらいは、と思って街にカメラを持って飛び出した。汗を垂らしてカメラを街に向ける。たまにはこんな日があっても良い。

 撮らなければ答えは見つからず、況してや思考すらできない。パーソナルな部分をどう表現していけば良いのかはカメラを事物に向けることで初めて気が付くことができる。そうでない部分に関しては、カメラを持っている人なら誰でもできてしまうのだと思っている。

 夏はいつか自分を殺して過ぎ去っていく。そうなる前に涼しい空間で少しでも自分自身を見つめ直す時間を作っていくことができたのなら、また一つ新たなものを生み出すことができるだろう。