父のいない九月もこれで二回目になる。「命日も近いから、連休で実家に戻ってきて」と母親に言われて、この連休で実家に帰った。本当は毎月何らかの形で帰ろうと思っていたが、8月は控えていた。

小田急線下りから見える景色はもはや懐かしい。最寄りに近づくにつれて車窓から見える田畑は、ついこの前まで毎日の様に見ていた景色にも関わらず、どこか幼少の頃を思い出す。

午前中から実家に帰ると、そこには父親の同級生が先に家に来ていた。二年前に父親が緩和病棟に入院してから接点が私とも濃くなった4人。それぞれのキャラが濃く、仲の良いおじさん達。いつ見ても羨ましい関係だな、と思う。

世間話も交え、少しばかり仕事の事を聞かれる。父親と同じ歳の、妻帯持ちのおじさん達に仕事の事を話す。父親が生きていたら、どんな事を話しただろう。悩みを打ち解けても大した返事をくれなかった寡黙な父親だったが、時間をかけて返してくれる答えを今でも欲しくなる。

今日はおじさん達と、母親と私で父の眠る墓参りをする事になっていた。ぎこちないが、私が運転して、母を連れて行く。少しは何か進んだ姿を見せたい。この歳になっても誰に対しても背伸びをしたがってしまう。

形式的に墓参りが終わる。ここでおじさん達とは別れる事になる。不意に「おじさん達は、いつまでもどうかお元気で」「おじさん達は、家族を大切にしてよ」と言葉が出る。準備していない言葉、本心が咄嗟に出てしまう。

帰りの車中で母と二年前の事を話す。今になっても当時のその時々の選択肢は間違っていなかったのか、なんて思い出話ばかりだ。そして口癖の様に「なんでうちのパパだけが、あの中から先にいなくならないといけなかったのかなあ」なんて言う。事実、私もそう思う。ずっと私の中に遺る母の言葉だと思う。息子にはどうにもならない、どうしようもない、感情。

けれど今年の九月はどこか明るかったと思う。父がいなくなってから訪れる初めての九月よりも、今年の九月は笑い話が絶えず、今の家庭にも少しずつ陰りの中から光が差し込んでいる様に思える。痛みと悲しみは時間の経過と共に忘れていくことでしか拭えないものなのではないかと思う。ずっと引きずる必要もない、風化させていく事も時には必要だ。遺された人間にも残された有限な時間がある。いない人のあれこれを考えてもどうしようもない。特に元々寡黙な父が今になって何か話してくれるわけでもないのだ。母にこんな事を面と向かって言えはしないが私がそう思うなら、母が残された時間を少しでも前に向く事ができる様に舵取りをする責務がある。

あまり長く実家にいても居心地が良過ぎるので、早々に実家を出た。まだ何となく実家を出る時に寂しい気持ちが湧き上がる。正確には色々と考えてしまうからなのだが、今は寂しいとしか、形容できない。時間が経つにつれて何処かにこの気持ちも置き去っていくのだろうか。