柔らかくなりたい

日常、私はひとりでいるほとんどの時間を自分自身と対話している。診断されたわけではないが、周囲の環境や音に敏感で、それに対していつも自分自身の対話の中で文字に起こしている。

例えば、今乗っている京都駅から新大阪へと向かう電車。窓側の席に座り、久しぶりに晴れた空と分厚い入道雲を見ている。

電車が走る音、アナウンスの声、車窓から見える人々。私の脳内は常に何かを考え続け、何かを自身にぶつけている。

当然、この様な行為は疲れる。ほとんどの時間がこれだから非常に疲れる。ただ純粋に「今日は晴れているから空が綺麗」くらいに思えれば丁度良いのかもしれないが、何故か詩的に、ノスタルジーな感情が交じって文字に起こしてしまう。

頭が硬いのだと思っている。何も考えないよりはましなのかもしれないが、数年前のアルバイトにおいて「仕事の一つ一つに意味を見出して働いてくれ」と言われた事が大きな要因の一つであると思っている。別に悪い意味だけではないし私自身に良い影響を与えてくれたとも思っている。ただ、どこか仕事とプライベートの分別が付かなくなってしまう様な環境だった事もあって、プライベートにおいても何かしらの自分が納得する「意味」を見出さなくてはならないと思う様になったし、それ自体が本当に正しい行為なのかも分からなくなってしまった。

肩の力を抜く事のできる環境を作らなくてはならない。前述する様に「ひとりの時間」を極力無くして、誰かといる時間が必要だ。きっとこのままひとりで生きていくとなると、私はウサギが寂しさを感じて死ぬ事と同様に、自閉された自身の空間の中で誰にも言わずに生き絶えるだろう。現に「何かを考え続ける生活」にとんでもなく疲れていてしんどいし、早く離脱したい。それがパートナー、友人、上司、同期、何だって良いと思う。(なるべく上司や同期は仕事を想起させるので控えたいところだが)

どうか自分が柔らかい存在でいられたら。過去のせいにしないで、今を前に進めたら。