輪廻

 

 12月に入りました。皆さまいかがお過ごしでしょうか。私はと言いますと、ここに自然な私が現れているのだと自覚する日々が続いております。特に予定のない日は大学の図書館に籠もりながら誰とも口をきかず、文章と闘い、本を捲る音やタイピングの音だけを耳にする生活を送っております。しかしどうやら論文を書くという行為に対して、自我を忘れていくような、新しい自分すら覚えるような、そんな気分を抱きます。そんな日々から少しでも脱出するように珈琲を飲むことでふと我に返るわけですが、一日に三杯(それ以上の日も多い)飲んでしまい、身体中を珈琲という茶色な液体に侵食されているような感覚であります。身も心も、新しい何かに生まれ変わろうとしている。これは第二の誕生日なのかもしれない。いつものごとくくだらない前書きはここまでにしておきたい。外界からこの精神、肉体、どちらとも一定の力で殴られたりすれば自我を保てるのだろうか。

 前回に引き続き、三島由紀夫について。ここ数日、三島由紀夫「若きサムライのために」という本を読んでいる。先日鑑賞した「豊饒の海」から三島由紀夫という一人の作家について再燃し、読み漁っていることは紛れもない事実。

『若きサムライのための精神講話』(わかきサムライのためのせいしんこうわ)は、三島由紀夫の評論・随筆。初稿の旧仮名遣いでは『若きサムラヒ…』となる。

昭和元禄と呼ばれた昭和40年代前半、学生運動全共闘運動)が最高潮に達し、従来の日本的価値観が崩壊してゆく時代に、武士の男として非常時に備えるべく日常生活においての心構えなどを、芸術、政治、時事など社会の様々な角度から説いた書。三島が作家として書斎の思索者のみならず、自ら世の動乱に赴くことを急務とみなし「楯の会」を軸とした活動を行っていた中、「動中の静」ともいうべき平常心の姿勢で、若い男性読者に向けに「サムライ」の生き方の規範と指針を示した時事エッセイである。

(引用:Wikipedia

untruth-rx.hatenablog.jp

 

  文学というものは何かしらの拍子に作品・作家に出会い、興味を抱き、作品を読み進めると共に作家の背景を知ろうとする。三島について多くの人間が最初に知る事実は「三島事件*1だろう。三島事件におけるインパクトは後世、すなわち現在に「三島由紀夫」というひとりの作家を根強く遺すことに繋がった事実は間違いない。しかし、その中で「政治的」、「右翼的」思想から偏見と三島との離別をする人が多いのも確かだ。(事実、私もそのうちの一人であった。恥ずかしい話、自分自身に政治的関心が薄いこともこの時自覚した。)

 しかし三島文学は私が改めて大きな声で言う必要はない。完成された、男性的でパワフルな、読むことに体力を要する素晴らしいものである。前述した三島に対する見解とは別に私がこれまでに読んできた作家にはないものを感じた。そしてそんな私はこの「若きサムライのために」を読んでみることにした。

特にこの本においては三島の随筆ともなる作品であり、三島の経験を元に人間の持つべき、到達すべき「美」について語られているように思える。

 私はこの作品における前半部分「若きサムライのための精神講話」と早く出会うべきであった。この本には、昔(といっても1968年の話なので現実味はまだこの時代にも残っている)の話をされているにも関わらず、何だか今生きているこの世間に通じるものがある。私はこの本に屈強な精神、肉体を持つべきであるという事を自覚させられた。もうこの自分自身の衰弱した、非常に脆い精神を打破したくて仕方ないのである。少しだけ自分語りのようなことを言うとすれば、この衰弱した精神にこそ、かつての私は一つの「美」を見出していた。それは恐らく自分自身と最も手早く辿り着くことのできる、想像していた「美」の極致。か弱い肉体だけに存在する美しいと呼べるもの。それは一体、月日と共に何処へ行くものだったのだろう。今はもう、知ることもできない。

 また、三島がこの私に教えてくれた最も大きなものは「経年は肉体の価値の下落、または無価値になるということ」、「偏執」についてである。これについては「女神」を読むことで理解を深めることができる。参考までに引用。

『女神』(めがみ)は、三島由紀夫の11作目の長編小説(中編小説とみなされることもある)。理想の女性美を追い求め、自分の娘を美の化身にしようと教育する父親と、生身の女のジレンマを超えて女神へと化身する娘の物語。自然から絶対美を創造しようとする男の偏執と、その娘が日常的な愛欲に蝕まれそうになりながらも、大理石のような純粋な被造物へと転化する過程を通し、芸術家の反自然的情熱と芸術作品との関係性、芸術と人生との対比が暗喩的に描かれている。1954年(昭和29年)、雑誌『婦人朝日』8月号から翌年1955年(昭和30年)3月号に連載され、単行本は同年6月30日に文藝春秋新社より刊行された。

(引用:Wikipedia

 まあ結局のところ三島文学を読むことでしかもう生きられないのかもしれないという自覚すら抱いている。経験が浅すぎる。若すぎる。だからもっと他人の世界を覗いてみるべきだろう。だが三島由紀夫という人間の「肉体」、「精神」、「美」、それこそこの「若きサムライのために」は私にとって一つの解なのだ。こんなことを言うのも抽象的で申し訳ないくらいだが、この純粋な思想に憑りつかれてしまったことは一つ運命であると思えるくらい、シンパシーを感じている。だから三島由紀夫という作家に出会った日が私自身の人生本来の誕生日なのかもしれない。

*1:昭和45年(1970年)11月25日午前11時10分から午後0時20分ころまでの間、陸上自衛隊東部方面総監室において、楯の会会長三島由紀夫(平岡公威)、会員ら4人が益田総監を監禁し、憲法改正のため自衛隊の決起を呼びかけた事件である。本居宣長平田篤胤らの国学の影響を強く受けていた三島は、尊皇心が極めて厚く「天皇を中心とする日本の歴史、文化、伝統を守るのは国軍である」として憲法改正と国軍の創設を主張していた。自衛隊が70年安保闘争が起こった際に治安出動し、これを契機に憲法改正のため決起することを念願していたが、実際の安保闘争は警察力のみで処理されたためその時期を完全に裏切られた。三島は自衛隊決起を促す手段として自ら行動し、総監室内で割腹自殺を遂げた(享年45)。

三島が割腹して介錯された後、楯の会会員・森田必勝も割腹自殺(享年25)。残った3人の会員が逮捕・起訴され、実刑判決を受けた。

ちなみに100名余りの会員を抱えていた三島の私設団体・楯の会は、三島の遺言どおり翌年解散した。

舞台「豊饒の海」を観て・三島由紀夫という存在について

 ご無沙汰。やっぱりiPhoneから投稿するよりも、キーボードを打ってかたかたと投稿していく方が良い。単純に文字入力の早さが後者のが早いだけなのだが。まあ場面場面ということで。

 やっぱり、このブログには私自身の日常的に行っている「制作活動」については伏せていこうと思う。そのためブログに書いてある名前も「虚」へと改名した。この虚(うつろ)という名前は、Twitterで自身の思考・意見を述べるアカウントで用いている名前なので、統一した次第。あまりはてなブログに対してアクセス数や人気などを考える気にもならないので、自由にやっていこうという決意も含んでいる。

 さて、今日の本題に入りたい。先日は椎名林檎のライブに行ったわけだが、その二日後に舞台「豊饒の海」を新宿 紀伊国屋サザンシアターにて鑑賞してきた。三島由紀夫の作品ともあって、中々原作を読んでいた私からしても、感想や思考を文章にするのは難しい。鑑賞から少しばかり時間が経ってしまった。

 また、先週においては稀に起こる「芸術鑑賞ウィーク」だった。これほど時間を芸術に充てられる幸せな休暇はないだろう。

www.parco-play.com

 

 

原作「豊饒の海」について

 「豊饒の海」は三島由紀夫における最期の作品であり、長編小説だ。全四部作という非常に重厚ではあるが晩年の三島の世界観を説明するにはこの作品を推薦すれば凡そは理解されるであろう。個人的な推薦としては「憂国」、「女神」、「金閣寺」を薦めたいが、私自身も三島を完全に理解(は不可能であると思っているけれど)していないので自身で読み進め、個人としての理解の上で三島の魅力に憑りつかれるべきであろう。

豊饒の海』(ほうじょうのうみ)は、三島由紀夫の最後の長編小説。『浜松中納言物語』を典拠とした夢と転生の物語で、『春の雪』『奔馬』『暁の寺』『天人五衰』の全4巻から成る。最後に三島が目指した「世界解釈の小説」「究極の小説」である。最終巻の入稿日に三島は、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で割腹自殺した(三島事件)。

第一巻は貴族の世界を舞台にした恋愛、第二巻は右翼的青年の行動、第三巻は唯識論を突き詰めようとする初老の男性とタイ王室の官能的美女との係わり、第四巻は認識に憑かれた少年と老人の対立が描かれている。構成は、20歳で死ぬ若者が、次の巻の主人公に輪廻転生してゆくという流れとなり、仏教の唯識思想、神道の一霊四魂説、能の「シテ」「ワキ」、春夏秋冬などの東洋の伝統を踏まえた作品世界となっている。また様々な「仄めかし」が散見され、読み方によって多様な解釈可能な、謎に満ちた作品でもある。 

出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』

 

 

 

舞台「豊饒の海」を観て

 舞台を観に行ったわけだから、舞台の話を少しだけ触れて三島由紀夫という人間についてみていきたい。紀伊国屋サザンシアターは初めて訪れた劇場であったが、やはり新宿の中心からは離れた場所。人の気配があまりない、静かで高貴な印象すら抱かせるような場所だ。

 やはり座席は映画にしろ何にしろ、中心を好む私である。この日以外よりも早く公演を観に行くこともできたが、座席を加味して舞台の後半期とも言えるこの日に観に行った。

 鑑賞前、原作を読んでいたからこその期待と、四部作をおよそ二時間半強で仕上げるという不安があった。結論として非常に完結された舞台であったと感じている。松枝清顕役の東出昌大は開始五分ほどで登場、白いシャツにサスペンダー姿がこの舞台におけるメイン衣装。いやほぼこの姿しか見なかったか。三島の想う「若さ」や「肉体」を可視化しているような東出昌大に、思わず見惚れてしまった。本田繁邦役の三方(大鶴佐助首藤康之笈田ヨシ)はそれぞれの本多繁邦を全うしていた。中でも大鶴演じる青年期の本多はそれこそ青々とした年頃の少年のような本多の一つの実体であると感じられた。そして晩年の本多を演じる笈田ヨシ氏は生前の三島との交流があったとのこと。(豊饒の海公式プログラムより)御年85歳ともなる笈田ヨシ氏。勝手ながら笈田氏を観て、「年齢」を重ねた生の厚みは三島の思想とは対照的ではあるものの、やはり一つの理想だと認識させられた。話が逸れそうなので簡潔に述べたいところだが、人生において一つの職業・役柄をどれだけ続けていられるか、これは私にとってもこの小さな一つの人生において課せられているものである。

 また、劇中の黒子の動きのしなやかさ、時に時間にまとわりつくような粘り気のある動きに心を夢中にさせられたのもこの舞台の魅力であろう。ライトアップされた正方形の小さな舞台。黒子によるシーンづくりはもはや一つの役者であり、主役でもあった。終盤における黒子の「波」を想起させられるような一連の動き。風と海。波の音といったものをシンクロナイズした彼らの動きには評価するものがあるだろう。

 舞台「豊饒の海」は、原作を読まずとも愉しめる作品となっていたことは確かだ。そして「三島の意志や最期の作品であるといった事実」を尊重して作られた脚本、演出。これらは作り手における三島愛がなければ作ることのできないものである。並大抵のものではないはずだ。そういった気迫さえ感じる事のできた舞台であった。

私自身が崇拝する三島文学について

 私自身、豊饒の海をはじめとする三島文学のファンである。その言葉の重厚感、崇高な印象すら与えられる文章に、私は惚れ惚れとした記憶を抱いたわけだ。初めて三島由紀夫の作品を読んだときにはその文章の理解しがたさから、読むことを諦めてしまった経験がある。最初からすんなりと三島を読み込めた人間がいるのかどうか、それとも私自身の教養と読書習慣の無さが要因か。ストイックに生きよう。後者だと思い、教養と習慣を付けていきたい。自責自責。他責にするな。少しばかり話がずれたが、三島作品を読む時、私は何とも正面から自分自身と対峙している感覚すら覚える。読了という一つの着地をしたとき、背中にずしりとしたものを背負っている。それだけ消耗する自身の精神的死闘を乗り越え、作品の理解を得ることができると感じている。

 三島由紀夫という人間についての研究は私よりも多くの知に富んだ人々がされているので省略しよう。私は初めて三島の世界観に触れてから、ほぼ毎日のようにYoutubeで三島へのインタビューを観ている。

 

www.youtube.com

 

 

このインタビューにおける4分30秒頃からのテーマである「死生観」。今にも通ずるものを感じる。「死が生の前提になっているという緊張した状態にはない。」という言葉にはこれまでの私自身のぼんやりとした死生観(死は自分において遠い存在、出来事でしかない)を覆された。

 三島の晩年のボディビルは虚弱体質を乗り越えようとする、一つのコンプレックスへの脱却とも受け取れるのはマニアには有名な話だろう。私自身もつい2ヶ月ほど前から筋トレなるものをはじめたが、理由は三島のそれに近い。身体の線の細さ、人間としての弱さ。これらは他者からしたらどうでもよいことなのだろうが、自分自身の精神の容れ物である以上は屈強で逞しくありたいものだ。そして何より、この経年変化する肉体。どうにかして「若さ」と「強さ」を持ち合わせていたいのである。

 他にも色々と述べていきたいところだが、これはまた別の作品を読んだ時にしよう。いつも通り、うまくまとまらないがこの辺で。

跡地

 ブログのような、ある程度文章量を必要とする内容を書くことに慣れてきたようだ。

長い文章を書くという事は何だか気力を必要とするし、それなりに固まった時間が必要だと自分は思っている。まあ、大体は何かしらのイベントや思いついたことがあるからブログにアウトプットの意味を込めて書くのだが。

 今日は昨夜の話。忘れずに記憶を文章にして、記録しておきたい。

昨夜は椎名林檎のライブに行ってきた。結論から言うと終始大興奮。何も考えられずただただ「椎名林檎」という存在を見つめていたら公演が終了していた。私の青春。必死になって追いかけ続けた日々が鮮明に思い出されては気が付いたら涙が止まらなくなっていた。長い月日をかけて、漸くご本人様をお目にかかれたのだから、そうなってしまうのも無理はない。私の人生だもの。人生は夢だらけ。

ライブについてブログでまとめる時というのは恐らく色々と正確な情報(セットリストやら、その場での出来事やら)を載せるべきなのだろうが、そんなことはどうでもいいので公演で披露された曲について述べていこうと思います。

とはいえ、まずは今回のライブの概要について。以下参照願いたい。

 

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デビュー20年、生誕40年と、キリの良い数字が並ぶ今回の公演。僅かな椎名林檎ご本人のMCでは「こんなに続くとは思っていなかった」、「ぽつねんとしていると思っていた」との旨の発言からも20年という月日はかなり長い年月であることが伺える。私が椎名林檎と出会って6年くらい。それでもかなり密度の濃い時間を彼女から授かり、憧れては狂ったように聴いていた時期があるので長い月日を感じる。本人はどんな20年だったのだろう。

 それでは話を戻して少しずつ今回の公演で演奏された曲について書いていきたい。

 

 

 

「流行」

開演直後にスペシャルゲストとしてMummy-D氏が登場し「流行」を披露。この曲は今改めて聴いても褪せない名曲だと思っている。

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「長く短い祭」

この公演はソロ曲はもちろん、途中途中に突如現れるスペシャルゲストに興奮をどんどん掻き立てられた。冷めない興奮をこれでもかと掻き立てられるのだ。中盤に現れた浮雲こと長岡亮介氏(出てくるなんて私は思ってもいなかったので正直びっくりしている)との「東京は夜七時(ピチカートファイブのカバー)」、「長く短い祭」の二曲が聴けて良かった。浮雲氏はこのさいたまスーパーアリーナという大人数を収容する場所で、自身の持つ「色気」をお披露目したわけで、何人殺したのだろうかと疑問を抱いてしまうよ。本当に椎名林檎浮雲のコラボレーションはいつも最高だと唸らせてくれる。

 

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「獣ゆく細道」

巷で話題の「椎名林檎宮本浩次」(これもまた、やるとは思わなかった)の「獣ゆく細道」は、みやじは大きな映像となり出演。この日を迎えるまでにPVを何度も観たけれど、ライブ映えが凄まじい。いつか二人が生で披露しているところを観たい。

 

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「歌舞伎町の女王」

シングル2作目。青々としたかつてを想起させられる曲だと思っていたのだが、一周回って聴いたこの曲は本当に色褪せることのない名曲。中盤のメロディを口笛で吹く箇所は街中を歩きながら自分もついついやってしまう。

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終わりに・「人生は夢だらけ」

青さから滲み出るような鋭利な感情を歌詞にしたり、時に言葉遣いのきめ細かで読み入ってしまうような歌詞。20年という歳月から彼女の変遷を感じては追い続けていくことが一ファンとしての私の愉しみであると認識させられた。そして全体を通して「人生は誰のものなのか」ということを常に問い続けられた、そんな公演であった。「人生は夢だらけ」で目を覚まされ、自身の人生観について考えたオーディエンスは少なくないだろう。「獣ゆく細道」についてもそのような「誰の、何のための命(人生)」なのかを考えさせられる。私は私。誰かに飼われた存在じゃない、と何となく心の奥底に眠っている本能を目覚めさせられる曲たちである。

 

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夢のような時間だと思っていたけれど、予想以上に現実と対面したような。

でも椎名林檎という存在にどうしようもな高校生という多感な時期に出会えてよかった。やっと観に行けてよかったと心から思う。

話に終わりが見えないので、このあたりで。