舞台「豊饒の海」を観て・三島由紀夫という存在について

 ご無沙汰。やっぱりiPhoneから投稿するよりも、キーボードを打ってかたかたと投稿していく方が良い。単純に文字入力の早さが後者のが早いだけなのだが。まあ場面場面ということで。

 やっぱり、このブログには私自身の日常的に行っている「制作活動」については伏せていこうと思う。そのためブログに書いてある名前も「虚」へと改名した。この虚(うつろ)という名前は、Twitterで自身の思考・意見を述べるアカウントで用いている名前なので、統一した次第。あまりはてなブログに対してアクセス数や人気などを考える気にもならないので、自由にやっていこうという決意も含んでいる。

 さて、今日の本題に入りたい。先日は椎名林檎のライブに行ったわけだが、その二日後に舞台「豊饒の海」を新宿 紀伊国屋サザンシアターにて鑑賞してきた。三島由紀夫の作品ともあって、中々原作を読んでいた私からしても、感想や思考を文章にするのは難しい。鑑賞から少しばかり時間が経ってしまった。

 また、先週においては稀に起こる「芸術鑑賞ウィーク」だった。これほど時間を芸術に充てられる幸せな休暇はないだろう。

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原作「豊饒の海」について

 「豊饒の海」は三島由紀夫における最期の作品であり、長編小説だ。全四部作という非常に重厚ではあるが晩年の三島の世界観を説明するにはこの作品を推薦すれば凡そは理解されるであろう。個人的な推薦としては「憂国」、「女神」、「金閣寺」を薦めたいが、私自身も三島を完全に理解(は不可能であると思っているけれど)していないので自身で読み進め、個人としての理解の上で三島の魅力に憑りつかれるべきであろう。

豊饒の海』(ほうじょうのうみ)は、三島由紀夫の最後の長編小説。『浜松中納言物語』を典拠とした夢と転生の物語で、『春の雪』『奔馬』『暁の寺』『天人五衰』の全4巻から成る。最後に三島が目指した「世界解釈の小説」「究極の小説」である。最終巻の入稿日に三島は、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で割腹自殺した(三島事件)。

第一巻は貴族の世界を舞台にした恋愛、第二巻は右翼的青年の行動、第三巻は唯識論を突き詰めようとする初老の男性とタイ王室の官能的美女との係わり、第四巻は認識に憑かれた少年と老人の対立が描かれている。構成は、20歳で死ぬ若者が、次の巻の主人公に輪廻転生してゆくという流れとなり、仏教の唯識思想、神道の一霊四魂説、能の「シテ」「ワキ」、春夏秋冬などの東洋の伝統を踏まえた作品世界となっている。また様々な「仄めかし」が散見され、読み方によって多様な解釈可能な、謎に満ちた作品でもある。 

出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』

 

 

 

舞台「豊饒の海」を観て

 舞台を観に行ったわけだから、舞台の話を少しだけ触れて三島由紀夫という人間についてみていきたい。紀伊国屋サザンシアターは初めて訪れた劇場であったが、やはり新宿の中心からは離れた場所。人の気配があまりない、静かで高貴な印象すら抱かせるような場所だ。

 やはり座席は映画にしろ何にしろ、中心を好む私である。この日以外よりも早く公演を観に行くこともできたが、座席を加味して舞台の後半期とも言えるこの日に観に行った。

 鑑賞前、原作を読んでいたからこその期待と、四部作をおよそ二時間半強で仕上げるという不安があった。結論として非常に完結された舞台であったと感じている。松枝清顕役の東出昌大は開始五分ほどで登場、白いシャツにサスペンダー姿がこの舞台におけるメイン衣装。いやほぼこの姿しか見なかったか。三島の想う「若さ」や「肉体」を可視化しているような東出昌大に、思わず見惚れてしまった。本田繁邦役の三方(大鶴佐助首藤康之笈田ヨシ)はそれぞれの本多繁邦を全うしていた。中でも大鶴演じる青年期の本多はそれこそ青々とした年頃の少年のような本多の一つの実体であると感じられた。そして晩年の本多を演じる笈田ヨシ氏は生前の三島との交流があったとのこと。(豊饒の海公式プログラムより)御年85歳ともなる笈田ヨシ氏。勝手ながら笈田氏を観て、「年齢」を重ねた生の厚みは三島の思想とは対照的ではあるものの、やはり一つの理想だと認識させられた。話が逸れそうなので簡潔に述べたいところだが、人生において一つの職業・役柄をどれだけ続けていられるか、これは私にとってもこの小さな一つの人生において課せられているものである。

 また、劇中の黒子の動きのしなやかさ、時に時間にまとわりつくような粘り気のある動きに心を夢中にさせられたのもこの舞台の魅力であろう。ライトアップされた正方形の小さな舞台。黒子によるシーンづくりはもはや一つの役者であり、主役でもあった。終盤における黒子の「波」を想起させられるような一連の動き。風と海。波の音といったものをシンクロナイズした彼らの動きには評価するものがあるだろう。

 舞台「豊饒の海」は、原作を読まずとも愉しめる作品となっていたことは確かだ。そして「三島の意志や最期の作品であるといった事実」を尊重して作られた脚本、演出。これらは作り手における三島愛がなければ作ることのできないものである。並大抵のものではないはずだ。そういった気迫さえ感じる事のできた舞台であった。

私自身が崇拝する三島文学について

 私自身、豊饒の海をはじめとする三島文学のファンである。その言葉の重厚感、崇高な印象すら与えられる文章に、私は惚れ惚れとした記憶を抱いたわけだ。初めて三島由紀夫の作品を読んだときにはその文章の理解しがたさから、読むことを諦めてしまった経験がある。最初からすんなりと三島を読み込めた人間がいるのかどうか、それとも私自身の教養と読書習慣の無さが要因か。ストイックに生きよう。後者だと思い、教養と習慣を付けていきたい。自責自責。他責にするな。少しばかり話がずれたが、三島作品を読む時、私は何とも正面から自分自身と対峙している感覚すら覚える。読了という一つの着地をしたとき、背中にずしりとしたものを背負っている。それだけ消耗する自身の精神的死闘を乗り越え、作品の理解を得ることができると感じている。

 三島由紀夫という人間についての研究は私よりも多くの知に富んだ人々がされているので省略しよう。私は初めて三島の世界観に触れてから、ほぼ毎日のようにYoutubeで三島へのインタビューを観ている。

 

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このインタビューにおける4分30秒頃からのテーマである「死生観」。今にも通ずるものを感じる。「死が生の前提になっているという緊張した状態にはない。」という言葉にはこれまでの私自身のぼんやりとした死生観(死は自分において遠い存在、出来事でしかない)を覆された。

 三島の晩年のボディビルは虚弱体質を乗り越えようとする、一つのコンプレックスへの脱却とも受け取れるのはマニアには有名な話だろう。私自身もつい2ヶ月ほど前から筋トレなるものをはじめたが、理由は三島のそれに近い。身体の線の細さ、人間としての弱さ。これらは他者からしたらどうでもよいことなのだろうが、自分自身の精神の容れ物である以上は屈強で逞しくありたいものだ。そして何より、この経年変化する肉体。どうにかして「若さ」と「強さ」を持ち合わせていたいのである。

 他にも色々と述べていきたいところだが、これはまた別の作品を読んだ時にしよう。いつも通り、うまくまとまらないがこの辺で。