経過

 先週、酒を交えながら親友に言われた「僕はずっと小中高と友達を大切にしてこなかったから」という言葉に引きずられている。私自身がその「大切にされるべき存在」であるかはさておき、他人に私が「価値」として存在している事は私自身の精神を大きく揺らがす結果になった。

 今週もその親友と酒を交えた。何を話しても彼なりの言葉が返ってくる。彼は聡明であり、社交的な性格で、私とは対称的な存在である。対称的な存在とは、日々生きていく中で関わりを持つ事は私の中で難しく、「苦しみ」さえ感じる事もある。けれどもその対称的な存在である彼は、私の中でも長い時間を一つの場所で過ごしてきたからこそ、分かり合える数少ない親友である。共有する時間は、喪失した場合の感情を肥大化させる要因へと変わる。私も失いたくはない。

 趣味嗜好、彼とは何が共通項として持っていたか、友人という関係性が始まってから、未だに解っていない。強いて言うのであれば「若干の本読み/文学好き」であることと、「異性との何らかの問題点」くらいだと思う。対称的な存在だから、そのくらいの共通項で十分なのかもしれない。私とこれ以上に関わる事で、彼が私の様な思いをしないことを願う。

 

三島由紀夫vs東大全共闘について、鑑賞したのだから何か書き記そうかと思ったが、もう少し時間をかけて解釈を進めてからにしたい。

以下、どうでも良い思考整理。

 

・退屈な日々の中にいると、その中で心の充足を図る様に人は攻撃的になる。

・行動学入門を読むべきである。

・今こそ、三島文学に内包された「三島的哲学」の理解が現代の私達には必要である。

・個々に存在する「人生」を、自身が「人生は勝手に始まり、勝手に終わる」とは思わない方が良い。地に足を付けている時点で、人生は意味を為している。

・「わたしにしかできないこと」を見出す事が自身の生活、及び人生を広く豊かなものに変えてくれる。何に対しても意味合いを付けて歩むべきである。