存在

9月22日 16時23分 父が現世を離れた。

どうも日が経つに連れてその実感というものは虚実なのではないかと錯覚に陥っている気がする。

遺された母も自分も、何だか気分は明るい。僅かな空元気を振り絞っている。

諸々の葬儀関係が終わり、弔いの感情は其処に置き去りにされてしまったような。その気持ちを安心して抱く事ができるのは、もう少し後になるだろう。

明確な事柄は伏せるとして、遺産には正負が存在する。その実態をどれだけ亡くなった本人がこの世に遺して去る事ができるのかがかなり重要である。

駆け足で行わなければならない事も、焦らずに行えば良いこともあるけれど、そういった分別をする事が難しいくらいには焦燥している。母と私が同じ様に焦ってはいけないのだから、少しでも冷静にいたいものだ。

また、同時にどれだけ自分がこれまでに自由奔放で我儘に生きてきたのかという事を理解する。父が病気を患った六年前、高校生だった私はその事実から逃避を繰り返してきた。

どうも高校生の私には17年間の歳月だけでは実父を失う未来が近いということが酷く恐ろしく、考える事ができる程大人ではなかったのだ。

 

父が亡くなる二年前、叔母が亡くなった。夢を一番理解してくれた叔母がいなくなった時、これほど悲しさを覚える事はなかった。同時に死というものを身近な存在と考える様になり、私における人生のテーマは"理想的な死に向かう人生"になった。

"今を生きる"とは一体どういった事だろうか?夢や目標を抱かないままに限りある時間を過ごす事はこれまでに育ててくれた両親や叔母、そして祖父に背を向けて生きていくことになるのではないだろうか?

漠然としていた当時に叔母が亡くなってから、そんな事ばかりを考え続け、写真を撮る事に時間を費やしてきた。それが正解だろうが間違いだろうが、それは死ぬ瞬間の自分にしか分からないものだと唱え続けながら。

父の死は、それが間違っていないと客観的に支持してくれた。逃避を繰り返している私に、末期の父の為に何ができるのか、ずっと考えていた。亡くなる三ヶ月前、家で立ち上がる事もままならない父が、「頑張るから、立って写真を撮ってくれ」と言った。母はこの日を待っていたかの様に外出用の服を用意して父に着させた。父を撮った瞬間のこの上ない父の幸せそうな表情に22年間分の恩を返せたのではないかと思っている。

写真じゃなくても良かったはずだった。子である私が何か一つでも希望を持って父に姿を向けられるのなら。けれども写真は人と人との距離を縮めてくれる。きっかけを作ってくれる。不器用な親と子の関係を素直にさせてくれる。そう考えさせられた。

 

父の葬儀には生前好きだったポケモンと、写真を飾った。時間のある限り、父の旧友の方々にお願いをして、用意をしていただいた。五十歳を過ぎて旧友がこれだけ協力してくれるという事実に父の偉大さを知った。昔話も沢山聞いた。どうやら家の中では寡黙で冷静な父だったけれど、似ているところが沢山あるじゃないか。と子ながらに思った。

 

ただ、あまりにも早過ぎる。もう少し現世で報告がしたかった。欲を言えばその辺のおじさんの様に酒を飲んでいる姿を見ていたかった。二十歳を過ぎれば酒を飲みに行けると思っていた。お互い煙草を吸って、親子だな、なんて感じる瞬間を目の前で思いたかった。でも、今はもうそんな事を言っても叶わない。それが亡くなった事実よりも辛くて悲しくて、寂しくて仕方ない。だから同世代の人は少しでも両親との距離を縮めて欲しいと思う。叶えられるのだから。

父へ後悔もあれば感謝もある。後悔だけはどれだけ考えても思いつき、尽きないものだろう。だから感謝を忘れない。22年間の間、私を不自由なく育ててくれた事へ感謝して、この人生を充足させる事が最大の恩返しであると信じながら。