今年を振り返る

 はじめに

明日で2020年が終わる。今年は何だか年末感がない。仕事納めも充分に納まらず、年始早々の仕事が不安で仕方がない。とはいえ不安に思っていたところで何も変わらないのでこのまま時間を過ごす事にしたい。

今年は各々が思う様にコロナウイルスの影響も大きくうまく進むことのできなかった一年だったのではないだろうか。生まれて23年が経とうとしている中、ここまで周囲を気にして生活する年はなかった。改めて自分と他者を意識し直した一年であったように思える。

このブログを始めてから実に3回目の年末を迎えることになる。基本的にはTwitterに生息している事もあり、毎年年末の総括的な更新をしていなかった事に気がつく。年末感を出す為にも少しばかり今年の総括として以下に記録を残したいと思う。

 

今年を振り返る

まあまあ辛くなってきた仕事について

2月頃から会社から在宅勤務推奨と通達される。元々東京オリンピックに備えてテレワーク制度を予定していた事もあり、営業部門の在宅勤務は困る事なく移行する事ができた。とはいえ、リモートでの営業活動というのは営業も顧客も同じレベルでのITリテラシーが無ければ難しい事を知る。対面での営業活動というのは所謂「自分次第」なわけであって、商材の見せ方も提案方法も全て自分の手腕にかかっていた。しかし、リモート営業というのは互いに同じ画面を共有し、その中で言葉を巧みに操る事で商材提案を行う。巷では「リモート営業なら客先訪問の為の時間も短縮できる。また、一日に提案する事のできる件数が増える為、営業負担も無くなる。」と言われているが、リモート営業初年の今年は本当に相手のITリテラシー次第で負担も提案難度も変わる為、非常に大変だった。勿論個人的なメリットとしては、事前準備の時間さえあれば、プレゼンテーション資料が商材提案のメインとなる為、提案後に顧客に理解してもらえる様な資料作りができたのではないかと思っている。それに資料は一度使えば別提案の「プレゼン材料」としても活き続けるのも入社初年から気付き、意識してきた事である。嬉しい事に直属の上司にも資料提案による案件評価を充分にしてもらった。これからも継続していきたい。

6月辺りまでは緊急事態宣言の影響から上記の様なリモート営業と資料作成の繰り返しであったが、解除されてからは「緊急事態宣言って何だったのか」というくらい訪問営業が多くなる日々であった。

「リモート営業でも構いませんのでお気軽にお申し付けください。」という言葉をアポイントの第一声として置くのだがどうも緊急事態宣言時とは違い、強制的な自粛期間ではなくなってからは訪問営業が多かった。これが地味に今年精神的に辛いなと思う一つだった。

だが、この辺りについては前述した様な企業や顧客のITリテラシーについて充分に知る事のできる良い機会であった様にも思える。コロナ禍で一気にリモートワークやデジタルトランスフォーメーションが推進されていく今、企業体質を知る事ができたのは大きい。私はある企業の営業のひとりに過ぎないので個人的感想にしかならないのだが、社会の「コロナ禍の今、時代は大きな転換期を迎えようとしている」なんてものは氷山の一角に過ぎないのだと思う。企業体質とは書いたがどうにもならない課題もあれば、導入費用も馬鹿にならない。そして全ての業界がコロナ禍の中で私達の業界の様な恩恵を受けているわけでもない。このブログだから書くが、私が属する業界というのは恵まれているのだと強く感じる。自分が座っている椅子が明日もそのままあるとは思ってはいけない。

2020年に買って良かった物

ISSEY MIYAKE WATCH

1月は私の誕生月という事で、自分で自分を言い聞かせる様にしてクロノグラフのモデルを買った。 これまで使っていた時計はCLASSE 14だったが今年は社会人二年目に突入、一人で営業をする様になる年でもあったので、スーツにも似合い、プライベートで使うにも邪魔しない様な時計が欲しかった。スーツに似合う事が最も重要ではあったのだが、その中でISSEY MIYAKEを選んだ理由は下記にある。

 ・自分が好きなブランドを纏う事による士気の維持

 ・社会に収まる事なく、アクセサリーについては個人の拘りを追求したい

正確にはISSEY MIYAKE WATCHはブランドとデザイナーとのコラボレーションからなるプロダクトであるが、それぞれのシリーズにおけるデザインやコンセプトが尖っていて素晴らしいと思えた。マット調の黒時計に光る短針と長針。そして最低限のクロノグラフとしての持ち味。当初はクロノグラフに何の興味も抱いていなかった自分ではあったのだが、店頭で試着をした瞬間、迷いのない「この時計だ」と思ってしまった。本来であればもう少し購入まで時間をかけようと思っていたのだが、前述の通り、「誕生月だし・・」と自分を言い聞かせて即購入した。いつもそうやってどうにかこうにかして自分を自分で納得させている。後悔はない。

www.isseymiyake-watch.com

 

 SONY α7Ⅲ / SIGMA Art 35mm F1.4 DG

Canon 5D mark2を愛用していたが、どうもCFスロットへの不安(時代淘汰されていく媒体を使うという事と、そもそもCFカードが高額過ぎる事)から、サブ機として使っていく事を念頭に考え始めたのが今年に入ってからだった。とはいえ、Canon製のカメラを今後も使っていくか分からないという事、持ち出す機材が現段階でもかなりの重量で辛い事もあり、新しくメインで迎えるカメラはミラーレスにしたいという思いがあった。

結論として上記のカメラとレンズを買ったわけだが、以前に比較して軽量化を図れたかというとそういうわけでもなかった、というのがオチである。(SONY純正単焦点を買っていればこれまでよりもかなりスマート、コンパクトにできたのだが、実際に試写した所SIGMAレンズの使い勝手の良さに惹かれ、諦めてしまった。

実際にSONYに移行してからはこのSIGMAレンズとマウントアダプターを経由してのTAMRONズームレンズでどうにかなっているのだが、基本的に素早い動体を撮る事がメインではないので、満足している。それにα7ⅢのAFの速さには脱帽している。もっと早くに移行すれば良かった。でも5Dmark2も愛着のある良いカメラなのでお薦めです。

 

 FENDER MADE IN JAPAN HYBRID 60S TELECASTER

コロナ禍による在宅期間の多さも相まって、夏頃から新しいギターが欲しくなった。

元々は新しいギターを迎えるなら7弦ギターを、と思っていた春先。それから色々とメーカーを模索していた所にテレキャスターが欲しいという感情が芽生えて「しまった」のである。

実際の所、趣味程度の自分からすれば7弦ギターでなくともどうにかして面倒なチューニングをすれば弾く事のできるので、二の次になってしまったというのが本音である。何だってそうなのだが、店頭で試したり音を聴いたりすると当初とは異なる方向に事が進むというのは非常によくある出来事だと思う。コストパフォーマンスを持ってしても充分な一本だと思っているし、落ち着きのあるカラーリングにも惚れている。

shop.fender.com

 

 

 iPad Air 64GB

年内駆け込みで買った。Macとのサブディスプレイ兼外出用に。実際には外出時の写真閲覧やブログ更新、Twitterに役立っている。あとはこれまで見ていたHuluやAmazon Primeといったサブスクリプションサービスも見る頻度が増えた。画面が大きいだけでこうも役割を担うのかiPadは...。と驚いている。使いやすい。

 

終わりに

・仕事は二年目突入という年で、予想とは異なる大変さを抱いたわけだが、特に大きな不安もなく今年を終える事ができた。この状況に対して業界が恵まれていると感じる一方で、私の会社で関係する周囲の人々にも恵まれているとも感じる。誰しもが経験をした事のないこの「コロナ禍」という状況で二年目の自分が結果を安定して出せているのは上司による手堅いサポートが大きかったという事は忘れない様にしたい。

・今年は散財しすぎた。反省。後悔はしていないが。記載しなかったが服もかなり買っている。今年はファッションへの視野も広くなった。モードスタイルが好きな自分だったが、今年はかなりカジュアル寄りに服収集が捗ってしまった。少しだけ周囲に溶け込める優しい意識を持ちたい。

・今年は大型連休に本を読む事はあったが、日常的に継続して本を読むという事が少なくなってしまった。月に何冊も読める時もあったが、年間を通して読んだ冊数は少ない。

 

来年もどうぞよろしくお願い致します。

節目な気がして

 突然ですが

来月24歳になる。だからといって何もないのだが、意外にも自身の中で「24歳」というのは中々良い数字だな、なんて思う。自分がメインとしているツイッターを始めたのは20になった歳で、色々思い返してみてもこの「4年」はかなり深い年月だった。顔にそれなりの苦労を重ねてきた形跡を4年前の自分の写真を見て思う。

ここ最近に始まった事でもないのだが、自分の音楽遍歴を語りたくなる時がある。今聴いている音楽の事とか、ある時は何か過去を思い出して当時どっぷり浸かった音楽の事とか。それは恐らく「自分こういう音楽好きなんです」と言いたいだけなのかもしれない。 ただ、それはいつも唐突に起きる事であり且つ部分的でしか語っている様に思える。

少し長くなりそうですが、記憶の最も古い所から自分の音楽遍歴を並べてみようと思う。超どうでも良いかもしれませんが、自分の為にまとめたいので悪しからず。

 

BUMP、RADWIMPSにはまる

最初に意識的に音楽を聴こうとしたのは中学二年の頃である。隣のクラスの女の子と「School of lock」にハマって文通ならぬCD交換をしたのがきっかけだった。今思えば自分がそんなことをしていたというだけで全くの別人なのではないかと思うくらいだが、土日に近くのTSUTAYAに行ってCDを借りては好きな曲を言い合っていたことを鮮明に覚えている。そんな時に最も嵌ったのがBUMP OF CHICKENRADWIMPSだった。記憶として印象的だったというのが最もらしい表現だと思う。BUMPの「R.I.P」、RADの「トレモロ」は今聴いても当時をはっきりと映してくれる曲だ。懐。

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突然V系にハマる(中学3年〜高校3年)

ところがどっこいである。中学3年。高校受験を控えた私は何を思ったのかヴィジュアル系にハマり出したのである。当時というと「ネオヴィジュアル系」という、これまでの全身黒づくめの退廃的な姿とは異なる、ポップでキャッチーで顔も良いという良いことづくめなV系が流行り出した頃である。ただ、その時代の流れと逆行するかの様に私は元バンギャの母親から教えてもらった「X JAPAN」や「LUNA  SEA」にハマり出す。紅は勿論、やっぱりRusty Nailは「いつまで経っても色褪せないね」というお決まりの様なイメージはずっとある。とはいえ、じゃあネオV系にハマらなかったのか?というとそうでもなくて、「the GazettE」や「シド」にはかなりお世話になったし、今も好きでよく聴いている。この2バンドはこの頃の自分を一番に蘇らせてくれるんじゃないだろうか。なんだか自分自身の「外見への意識」みたいなものもこの2バンドに教えてもらった気がする。かなり黒歴史で、今に至るまでかなり遠回りした気もするけれど。

 

ただ、最も自分の中で衝撃的であったバンドがいる。ツイッターでは散々言っているので「もうわかってるよいい加減にしてくれよ」なんて方もいるかもしれないが、音楽遍歴を語る上で忘れてはならないバンドの存在、それは「DIR EN GREY」である。前述したバンドの何倍も彼らの音楽を聴いてきて、彼らのライブに行った。最も好きな理由を言うとすれば出会ったきっかけでもあるアルバム「Vulgar」にある「Red...[em]」という曲のギターカッティングとギターソロにある。ギターを始めた理由も、ギターで初めて弾いた曲もこの曲だ。

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アルバム「Vulgar」がリリースされた2003年。当時を目の前で見られなかった事が何よりも惜しい。この頃に観ていたらもっとヤバい時期を過ごしていたと思う。

 

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今も尚、DIR EN GREYというバンドの存在は私自身の中で大きい。彼らの楽曲、ライブに生かされている。早くライブ行きたい。

と、まあDIRのファンになったのもこの頃なわけだが、勿論V系一色だったわけではない。高校に入学すると同時に軽音楽部に入部してからは色々な音楽に触れた。東京事変V系と同じくらい好きだったし(事実大学4年の頃に椎名林檎のライブに一人で行って大泣きしたくらいだし)、ギターを始めて嗜好がテクニカルなメタラー寄りなのだと自覚した時期でもある。それに軽音楽部にいた事もあって、当時の流行りや多くが好きなジャンルがあるという事も知る事ができた。今思えば全く異なるジャンルのバンドを組んでいて本当に良かったと思う。

それに自分自身と好きなジャンルの音楽がマッチングする人というのは極めて少数派で、「こういう音楽が好きなんだよね」と開示する事があまりなかった様に思える。正確にはツイッターとかで趣味が合う人を探したのもこの時期。ツイッターのおかげで一緒にライブ行く人もできたし最高だった。自分の趣味嗜好を形成してくれた、高校生活。

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親友が貸してくれたCDに入っていた椎名林檎の「ギブス」。

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自分が知った頃には既にこの世を離れていたPay money To my Painのボーカル、K。

ラウドファンが聴いて確実に熱くなる曲の一つ。

 

変わらないメタル愛とポストロック・オルタナシューゲイザーにハマる(大学1年〜現在)

ところがどっこいである。自分を取り巻く環境が変わるだけで簡単に好きなジャンルが変わってしまうのか。自分が単純なだけなのかもしれませんが。

DIR EN GREYのライブには通い詰め(東京公演で行けない事もあったが行ける時はほぼほぼ行った。)、DIR EN GREYと共に心中するかの様にハマっていた私。当時DIR EN GREYのボーカルである京のプロジェクトバンドであった「Sukekiyo」にfeaturingといった形でアルバムに参加した「THE NOVEMBERS」にここで出会う。「鉄の夢」、本当に格好良いんですよね。正直ノベンバ聴いて当時めっちゃ病みました。黒い服が好きになったのもこの頃から。ファッションの影響を受けたのはノベンバだと思う。

 そこからノベンバのライブにも通い始める。大きなツアーの東京公演には大体行った。加えて毎年11月に開催されるライブにも。去年も仕事を無理矢理切り上げてライブに行った。間に合わなくて聴きたかった曲を聴きそびれたけれど。

同じ様にこの頃聴き始めたのはノベンバに加えてPLASTIC ZOOMS、Lillies and remains、

 BAROQUE、Cigarettes  After Sex、The XX,Ex:Reなど。邦楽洋楽問わずしてメタルから離れ、オルタナシューゲイザー寄りに自分の嗜好が変わっていった頃である。自分自身を取り巻く環境の変化も勿論あるけれど、成人してから「酒を飲んで音楽を聴く心地良さ」みたいなものを知って、気持ち良くなっちゃったんだろうな、と振り返って思いますね。本当にお酒飲んでライブハウスで音楽聴くの最高に心地良くないですか。

 

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大学の頃に入っていた軽音楽サークルで先輩に推されたThe Birthdayチバユウスケ、マジでかっこいいな。歳を重ねて得られる渋さとしゃがれた声に見惚れる毎日。

 

終わりに

ここまで書いていて、ただの回顧録になってしまった様な気がする。だが、一度はちゃんと自分の音楽遍歴をどこかにまとめておきたかったので良しとしたい。(誰が観ているかもわからないので)

 

季節を感じず今年が終わる

 近況報告

前回更新から一月以上が経ってしまった。毎回の如く「忙しくて」と言ってはてなブログの更新が停滞しがちなのだが、今回もやはり「忙しい」である。

中々思う様に気が休まらず、それなりに休日に時間はあるものの読書は捗らないし考え込む事も少なくなった。良い事と思えば良い事なのだろうが、これまでそれなりに本や映画に没頭して、現実逃避する様にしてきたのだから、何だか日常に物足りなさを感じる日々である。

 

こんな状況ながらも私の業界というのはIT分野の幸運とも言える急速的なテレワーク、クラウドシステムの推進から、休む間もなく案件が降ってくる。昨年くらいからオリンピックで東京の企業はテレワークを推進していたはずなのに、と思いながら、やはり人間はどうすることもできない危機的状況に陥ると動き出すのだな、と感じている。多くの企業がそういう事なので、多少は私もギリギリになって動き出す事を許されたいです。

そんなこんなで、今年は社会人二年目の冬。漸くちゃんと冬賞与が支給された。評価が二年目の4月から10月、いわゆる上期。営業職として予算値が課せられ、それに基づいて評価、賞与算出といったところだ。幸いにも予算は毎月達成していたし、到達プロセスについても所属上長はしっかりと評価してくれていた。

誰が上についても何とも言えないし思わないが、新卒上司ガチャはSSRだな、と思ったのが今回の上期評価だった。

 

振り返ればコロナ禍の中で自分も先方も慣れない中でリモート営業をしていて、よく予算に到達できたなと思う。何度か使い方がわからず顧客に怒られてしまったことがあった。IT企業の営業なのに、と自分で自分を殴って辛かった。対面商談の方がリカバリが効く。自分は対面で人と話す事の方がよっぽど得意だと理解した。これまでずっと対面で人と話す事に難しさ(初見の人と何話せば良いか時々わからなくなってしまう)を覚えていたので、ある意味自信に変わったりもした。リモートより、対面の方が確実に良い。

 

iPad を突如として買った

冬賞与が出て、早々にiPadを買った。夏賞与の時にも店頭で散々悩んだ後にスルーしたiPad。当初はProが欲しかったけれど、今年10月に新生Airがリリースされたので狙い時かな、と思っていた。Apple製品はリリースサイクルが早すぎて、最適な時期がわからない。購入してすぐに新しくリリースされるし。(MacbookProがそうだった様に)

今年の10月リリースならそれも問題ないだろうという事で今回もまた、賞与で買う何かの候補に入ったわけだが、コロナ禍でやはりタブレットは売れている様だ。新宿西口にあるビックカメラに行ったけれど、在庫はないという。そりゃそうだよな、と思う反面、検討段階且つ別の欲しいものもあるしでiPadはまた別の機会に買うことにするか、と考えていた所、ふらっと立ち寄った新宿西口ヨドバシカメラに行ってみると在庫に余裕があるとのこと。近隣店舗でこんなにも在庫数に違いがあるとは...と思いながら店員にも「ヨドバシは最後の砦の様にお客さんがいらっしゃる」と笑顔。私もそのひとり、最後の砦に吸い寄せられていたらしい。

在庫があるという事と、店員のお兄さんの接客(というより趣味が合っていて使い方にも理解を示してくれた)が良くて気がついたらiPadとSmart keyboard folioを買っていた。Mac のサブディスプレイ程度に考えていたのでそこまで優先度の高いものではなかったはずなのだが、こういうガジェット類のものは早く買って使い込む事でしか効果を発揮しないという謎の自論でどうにか自分自身を正当化している。

とはいえiPad、買って2日目だがとても良い買い物をした。今もこの文章をiPad で打っているのだが、予測変換以外はMac で書くのと大差ない。動画閲覧だとか編集作業には申し分ないと思われる。何より、Macと比べて軽い。外で写真を撮ってもWifi経由でiPadに落とし、Lightroomでセレクトと簡易的な現像作業くらいは移動中の時間で完結するだろう。寧ろそこまでできればあとは自宅でのレタッチ作業だけにもなるのでだいぶ時間効率化が捗る。

あとはサブディスプレイになるという事で撮影中の遠隔画面として効果を発揮する事を期待したい。これが購入目的の一番の理由だったりする。

これMacbookProもう要らないのでは、と思い始めるが、要するに使用者の使い分けでしかないと思うので用途に対して使い分けていきたいなと思ってます。MacbookProと一緒に外に出ることはこれからかなり減りそうだけど。まだローン終わってないな。そういえば。

 

当時の事をTHE NOVEMBERSライブ配信を観て思い出すなど

今日は家にいながらも良い週初めだった。というのも今日はTHE NOVEMBERSが2014年に行われたLIVE "ROMANCE"をYouTubeで配信してくれた。

この2014年というのが個人的には非常に感慨深い年であって、当時大学受験だった自分はライブに行けずにもやもやしていた。そのせいか、大学生になってからノベンバのライブにはよく通ったなと振り返って思う。

今回配信されたRomanceは個人的に非常に行きたかったライブの一つで、選曲からライブの完成度までどこを取ってもこの場所にいたかったと見る度に思わされるライブだ。特にノベンバの中でも私は狂気の体現とも言える「鉄の夢」「dogma」「こわれる」...挙げればキリがないのだが、そういった曲を好んで聴いていた。勿論今のライブを見ていても彼らの楽曲の素晴らしさ、時間を重ねた事による新たな彼らの側面を見ることはできるけれども、2014年の彼らに存在する「狂気の様なもの」は二度と見ることはできないだろう。

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他にも2014年というと色々思い出したくなるのだが、それはノベンバとは関係ないのでまたいつか。

iPadのアプリでもはてなブログ書けるけど細かな設定はできない様で、ブラウザベースで書くことになるみたいだ。やはりしっかり書くならMacなんだろうな。終わり。

 

難しいこの頃

 

久しぶりに一人休日。土曜日は友人とサウナに行き、身体をほぐす。この頃週一度のサウナが最も身体への効力があるのではないかと思うようになった。何でもそうだが事物とは適切な距離感を取っていきたい。サウナは週一度。このくらいの関係でこれからもお付き合いしていこう。

今日はというと予定が前日深夜にリスケになったので、急遽都内で開催されている展示がないか探していた。すると京橋にあるアーティゾン美術館にて何とも興味深い企画展を発見した。それと日々が過ぎてからの舞台鑑賞について。

 作品を観て一つの解を得る

実は自分自身が都内で認識している美術館というのはまだあまり多くなく、(都度興味深い企画展を見つけてはそれに従って美術館に赴く程度であった為)アーティゾン美術館があるという事も今朝方知ったくらいだ。

興味深いのは、”Cosmo Eggs”という企画展である。因みに会期は今日までという事で急いで向かった。会場を歩くにつれ異なる分野のアーティストが織りなす一連の作品群に驚かされる。

表現の構築性を考えているこの頃にこの企画展は自分にとって刺激的であった。ぼんやりと考えていた「これから」について、一つ方向性を示してくれたかのような気がした。同じ様に技法を取るというのは容易いしオリジナリティに欠けるけれど、自分が考えていた事を先にされているとなると技法や表現の無限性は面白い。早期リタイアしなければ。

第58回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展の日本館展示「Cosmo-Eggs|宇宙の卵」(2019年開催、国際交流基金主催)の帰国展を開催します。ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展は、イタリア、ヴェネチアの各所を会場とし、2年に一度開催される現代美術の国際展です。1895年から120年以上の歴史を重ね、今なお大きな影響力を持っています。ヴェネチア・ビエンナーレの日本館は、石橋財団の創設者である石橋正二郎が建設寄贈、1956年に開館しました。そのような歴史的つながりから、このたび当館で帰国展を開催することとなりました。「Cosmo-Eggs|宇宙の卵」は、キュレーターの服部浩之を中心に、美術家、作曲家、人類学者、建築家という4つの異なる専門分野のアーティストが協働し、人間同士や人間と非人間の「共存」「共生」をテーマに構成されました。本展は、ヴェネチアでの展示をもとに、アーティゾン美術館の展示室にあわせて再構成するものです。映像・音楽・言葉・空間の4つの要素が共存するインスタレーションに、ドキュメントやアーカイブなどの新たな要素を加えご紹介します。

www.artizon.museum

少し前になるけれど

そういえば9月22日に「三島由紀夫没後50周年企画-MISHIMA2020」を鑑賞した。本来であればすぐにでも感想を記録していこうと考えていたのだが途中胃腸炎に苛まれたり、その影響で仕事が大幅に詰まる事となり余裕がなかった事から、中々ブログに書く事ができずにいた。

 

死なない「憂国」と題された部作に、一体何を思い、どの様にして観に行けば良いのか。チケットを早々に購入したにも関わらず、日付が近付くに連れて自分の中での鑑賞をしても良いのかわからなくなっていたのであった。

そもそも原作の憂国を現代とフュージョンさせる事による化学反応を我々が求めても良いのか、只々疑問であった。最も三島由紀夫の作品の中でも表面的には代表作と呼べる「憂国」に、私をはじめとするファンはどの様な期待と思いを持っていたのだろうか。

正直に述べるとやはり現代の色を加えた死なない憂国には、原作を知っているが故の受け入れ難さを感じたというのが当初の心情であった。あまりにも自分自身に潜んでいるコンサバティブな精神という物を実感させられた。

まず、これは私自身の主観でしかないのでスルーをしていただきたい部分でもあるのだが、私は表現において「はっきりとした」物を受け入れる事が厳しいという物がある。現代色を強める、原作と今作を明確に区別を付けるかの様にしてわかりやすいキーワードが羅列された内容というのは何とも感想どころかまず耳が聴こうとしない。何とも自分の根底にあるそういった視野の狭さ、鑑賞における偏屈さを自覚する。ある意味、今回を持ってそういった自身の感覚との対峙、認識を持つ事ができたといえばそれは私自身を一つ前に進めてくれたと思えるが、今作に対しては何も正面から対話できていないので今はこういった感想が第一に来てしまった事は猛省している。

話を戻すと、現代色の強い憂国にはどうしても鑑賞当時は受け入れ難く、汎ゆる自身の狭い思考が邪魔をして概要程度の認識で終わってしまったわけであったが、観劇をしてから数週間が経った今、現実に直面している自分にはあの作品が少しだけ引っかかっている。

それは大衆への共通項の多い作品である事から、鑑賞後の私自身の生活にも何かと共通項が少しずつ日々が過ぎるにつれて現れてきたという事である。

例えば、劇中のメインでもあった「ライブハウス」である。今は感染対策をしながらも少しずつ公演をしはじめているが、やはりまだ訪れる空間としては怖さを覚える場所だ。それに全てのアーティストがかつての公演の様な満足した状態で実施はできないし、選択肢として配信もある。これまでの公演は一体何処に行ってしまったのだろうか。そしてこれまでと同じ様にしてアーティストの熱量に負けないくらいのオーディエンスの熱量を持ってライブハウスは盛り上がる事はできないのだろうか。

そんな事を考えたり、YouTubeで配信されているライブを観ていたりすると、本当に辛くなってくる。元来、私自身は興味を示したアーティストの公演は一度は絶対に行きたいと思う性分であるし、私の周りには知人がライブを生業としている事も多い。そうした自身の周りを一度振り返ってみるとこれまでライブハウスと私は何かと密接な関係を持っていたという事を再認識する。今作の舞台上で起こった熱量はライブハウスの再現だ。煩いと思って鑑賞していたが、今になって「ライブハウスってそういう熱量がある場所だったはず」と思わされる。

結局、何を申し上げたいかというと視点の狭さ故に起こる、作品や人物に対するアンチテーゼというものは全く感想でもないし、私自身にも周囲にも何も作用しないという事だ。鑑賞当時の「原作を期待していた自分」というのはある種この企画タイトルに対して愚直であったし間違いではないと思っている。だが、今回の舞台を問わず、音楽でも絵画でも写真でも作品を鑑賞するのであればそういった自分自身のコンサバ思考は排除すべきなのだ。簡単に言えば知見をもっと広げていく必要があるし、いつまでも豊かにならない。

憂国の形は原作があの頃の憂う国の形であっただけであって、再現性を求めてはならないのかもしれない。それを求めるとするのなら、もっと世界は狭くて小さいはずだ。憂国の形は時と共に変容していかなければ意味がない。そして自分自身の思想も。

www.umegei.com

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

社会から自主リタイアしたい

途端に冷え込んできた気がする。感覚的には秋を通り越して冬の様な気持ちで、いつも秋服を買ったは良いもののタイミングを逃している。ここ最近の服への嗜好は、自分でも不思議に思うくらい黒い服への異様な執着とも呼べる思いがなくて、色味のある服を選んでは買い込んでいる。あれ程学生時代に黒い服が好きで、comme des garconsを買ったり、受注生産のフレアパンツを履いたり、関連する本やファッション誌を読んでいたのに、と思う。

恐らく年齢的な変化、自分自身を取り巻く環境の変化が思いの外社会人になってからの私に作用している。自分自身だけでない、他人が存在するという事実。なんとなく外れちゃいけない様な気がして、最低限そういったノーマルな自分を演出するために身なりを揃えようという自分がいる。

実際、就職をする前は「日常を剥奪されるものか」と強気に思っていたのだが、半ば強制的に拘束されるとなるとそういった意志も少しずつ削られていく。二年目で漸く仕事が慣れてくる。そんな時期でもあるが、同時に日常の剥奪とそれが普遍化していく事の恐ろしさの狭間に立たされているのだと思う。早い所、強気な姿勢を棄てて犬になるか、早期撤退をするか。

ただ、良くも悪くも拘束された分は賃金になって還ってくるので(本当はもっと成果物に対して還元されたいが...)休日に経済を回す事に必死になれている。やっぱり自分で稼いだお金を自分の為に使うのは心地良い。根本的な解決にはなっていないけど、現実逃避でありストレス解消の一つでもある、物欲の消化。

とにかく、早い所自給自足していきたい。成し遂げたい目標があった「はず」にはなりたくない。日常を完全に剥奪される前に、自主リタイアしなければ。

 

 

 

心の経年変化

結局

なんだかんだ悩みに悩んでいたにも関わらず、ギターを買った。楽器屋に行っては試奏をし、自分の耳だけを頼りに好みのフォルムや音を探る。

折角手にするのなら、ずっとこの先も手にしていたいギターが欲しかった。とはいえ、今はバンドをしているわけでもなく、特別作曲をしているわけでもない。買う目的があるかというと無いし、本当に必要かというと優先順位は低かったはずだった。ここ数年の買い物は大体が何かしらの目的があって、意味ばかりを追求していた。ギターを買うという事はそんな目的や意味が全くない、自分の欲求に素直になった結果だ。

結局気がついた時に手にしていたのはFender telecasterだった。様々なメーカーのテレキャスターを弾いてみたけれど、音の真髄はやはりフェンダーであり、自分自身の心情に素直になれるギターはフェンダーだったという事だ。

何度か試奏を重ねていくうちにリアピックアップでコードを鳴らした時のテレキャスター特有の鋭い音をいつの間にか好きになっていた。近頃までは限りなくゲインを上げた重低音のギターリフが好きだったはずなのに、最終的に手にしたギターがテレキャスターというのは心境の変化を著しく表しているし、何だか自分の変わり目を自覚している様な気がして面白かった。

高額な買い物、これまでにもカメラやレンズ、macbookといった物を社会人になってから必要経費だと言い聞かせ買ってきたが、今回のギターはこれまでの物以上に持ち帰る時の自分の心の高揚感に驚かされた。横浜駅から相鉄線に乗って、買ったばかりのギターを背負っている時の、何かが始まる感覚。ギターを買っただけで別に上手くなった訳でもないのに、不思議と自信に満ち溢れていた。10年前にお年玉を貯めて初めてギターを買った日を思い出した。

弾けなかった当初の事を思い出す事は難しい。Fコードが押さえられなかったはずのあの頃や、パワーコードだけの曲を必死に覚えてリズムなんて無視してひたすら掻き鳴らしたあの頃。漠然とした記憶だけは微かに残っているが、弾けなくて辛いとか、ギターを買ったけど挫折した、という記憶は全くない。

特別ギターが上手いとは自覚もないし、もっと上手い人は無数にいる。ギターだけは他人と技術的な面を比較する事なく、自分自身の時間に没頭できる大切な存在なのである。

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ベランダにて

感傷的な言葉しか思いつかなくなってきたから、ブログを書こうと思う。Twitterに何度も書いてはツイートするのはあまり好きではない。

昨年の夏から寝床に父の部屋を借りる事にした。昨年父は夏頃から入退院を繰り返したり、家に居たいと言うものの二階には上がれなくなってしまったので一階の和室に居た。そんなこんなで父に頼んで(というのもおかしいが相当の表現が見つからない)寝床として部屋を借りた。自室は部屋の構造上エアコンが付けられないという理由で蒸し暑く、満足して眠る事ができないからだ。(後にエアコンが付けられる事を知ったが…)

布団を置いている向きからして、身体を横に向けるとベランダから外の灯りが見える。特別綺麗な景色ではないけれど、水平線に並ぶ灯りを眺めているとセンチメンタルな感情に苛まれていく。自室からは方角的にもこの景色は見えなくて、新鮮なのだ。

ベランダに出て風を浴びると共に、少しだけ父の事を思い出す。今月は父が現世を離れて丁度一年が経つ。正直あっという間に時が過ぎた印象でしかなく、ほんの数ヶ月前の出来事の様にしか思えないくらいには時間だけが過ぎていった。

時が一瞬の様に感じるのは社会との関わりとそれに伴って忙殺されていくからであるのは言うまでもない。ただ、思いの外この一年間は自閉的になり過ぎず、本当に環境と友人達に恵まれている事の有り難みを実感する年となった。父の周りに最期まで居てくれた幼馴染のおじさん達の様に、私も誰かの最期に目を向けて居られる様な人間味のある人間になりたいと素直に思った。綺麗事の様に聴こえるかもしれないが、私が人情というものをはっきりと抱いたのは父の最期からだと自覚していて、父からの最期の教えと思っている。

ベランダからの景色は、部屋に篭りがちな父だけの独占的な場所だったのではないかと思うと自然と潤んでしまう。勝手に毎夏寝床として占領して申し訳ないと心で謝りつつ、晩夏に父を思い出しながらこのベランダで父が好きだったメビウスを嗜むのだろう。(だって今もそうだから。)