やがて死ぬ

 人の精神を焼き殺すように都会の夏という季節は暑く、苦しい。夏の風物詩の一つとして縁日や花火といったものがあるが、私は冷房の効いた喫茶店で無心で文章を読んだり、書いたりする方が良い。本の中で季節を知ると、どうも自分にはその情景を再現したくなるような感覚に陥るが、夏だけは別物だ。日光が身体を焼き、火照る身体が精神を殺す。その過程は実に一瞬で、私は酷く嫌っている。だが、夏になると途端にアイスコーヒーが美味くなる。恐らく夏を生きていく為の術として、与えてくれたのだろう。

 昨日とは変わって、今日は日中の予定がなかった。久しぶりの休日のような感覚を覚える。普段時間に追われて歩く新宿という街も何だか少しだけゆっくりと時間が流れているような気がした。「写真」という広義で個人にしか理解できない概念をずっと考えていた。写真を撮るとはどういうことか。写真を何故撮っているのか。時間に追われると、いつしか自分自身を殺している様な気持ちになるから今日くらいは、と思って街にカメラを持って飛び出した。汗を垂らしてカメラを街に向ける。たまにはこんな日があっても良い。

 撮らなければ答えは見つからず、況してや思考すらできない。パーソナルな部分をどう表現していけば良いのかはカメラを事物に向けることで初めて気が付くことができる。そうでない部分に関しては、カメラを持っている人なら誰でもできてしまうのだと思っている。

 夏はいつか自分を殺して過ぎ去っていく。そうなる前に涼しい空間で少しでも自分自身を見つめ直す時間を作っていくことができたのなら、また一つ新たなものを生み出すことができるだろう。