深酒幸福論

 12月も半ばに入り、クリスマスや新年を迎えるような余裕もなく日々が過ぎていく。どうやら周囲も同じような状況らしい。皆口々に「それっぽさがない」なんて言う。

卒業論文の提出時期が10日を切ったので、それなりに加筆修正を進めているわけだけど、なんだか思うように進まない。しかしこれまでの学生生活、レポートを8割程度の完成度でいつも終えていた。卒業論文くらいはちゃんと自己満足でも構わないので終わらせて、これからの人生に「大学生活における後悔」を少しでも少ない状態で生きていきたいわけである。いつだってそういう「後悔」はふとした瞬間に何かと自分を比べるようにして起きるのだから、少ない状態なんてものは絶対にあり得ないのだけど。

 ということで近頃は卒業論文を中心に生活を営んでいるわけだが、忘年会シーズンというものは余裕がなくともやってくるわけで、前述したようなクリスマスや年末感といった雰囲気よりも同世代の若者はこちらに興味深々なのだと思う。連日のように酒を浴びるように飲むことに何も罪悪感を抱かないのは大学生活における後半2年間だけであり、もはやこの社会に放り出される手前、人生の中で最も密度の濃い休暇なのだろう。私はそんな風に毎日のように酒を飲む友人たちを観ては思っている。

 そんなことを言っても私も同じようなこの世間に存在する一人の「若者」なわけで、毎日ではないけれど酒を浴びたりする。忘年会シーズンですから、毎日ではありませんから、深酒で少しは普段口に出せない言葉を述べてもいいではありませんか。この前だって、酒を浴びるようにして記憶を知らない土地に置いてきてしまったわけで、後悔を抱いたくせに翌々日には同じように酒を違う友人と浴びていたし。許される世界であってほしい。

 とはいえ、酒を飲むことで起こる翌日の身体の倦怠感、浮腫みというものはどうにかならないのだろうか。こればかりは仕方のないことだけれども、ネックである。次の日には酒を飲んだことはなかったことにして、午前中からてきぱきとスマートな生活に戻りたい。(飲酒は少量で抑えれば良いだけの話である。)

 まあ、こんな風にだらだらと駄文を並べられる余裕こそが実は生活におけるもっとも大きな幸福であるということに、このブログを開設して思ったわけである。もっとも、このブログを開設した理由は「Twitterよりもまとまった思考整理、日常生活の記録」といったただの日記のような雑多極まりないものであった。同時に開設時期は卒業論文の執筆開始と重なっているから、資料収集の現実逃避場所でもあっただろう。

 しかし、幸福というものについて少し自論を整理したい。幸福とは各々が持つ価値観とそこから始まる日常生活の中に転がっているわけで、どこで出会うか、どこで見つけるかなんてのは自分でもわからない。私の狭く無知な価値観と、広くわけのわからない世界のそれぞれに焦点を合わせてみると「幸福」という存在はすぐに実体を変化していく。「知」を前提とした探求心は最もそれを自覚させてくれたし、知る事はこの世の中で生きていく中で常に続けていかなければならない。なんてことを漸く自分なりに理解したつもりだ。

 こういう一見他人には理解しにくいような自論を整理しながら飲む珈琲は格別に美味い。現実逃避の友はいつも理想の限界を拡張させてくれる。これも近頃の幸福の実体の一つだ。